クロンシュタット 1921

本の話

ロシア内戦終了後の1921年3月、フィンランド湾に浮かぶ海軍要塞であるコトリン島クロンシュタットで水兵たちは蜂起した。これに対しトゥハチェフスキーを司令官とするボリシェヴィキ赤軍は2度に渡る総攻撃で3月18日にはクロンシュタットを鎮圧した。双方に多数の死傷者がでたが正確な数字はわかっていない。ソビエト共産党側の公式資料では、共産党死者数700名、負傷者2500名となっている。エマ・ゴールドマン自伝には砲撃の音が聞こえなくなったとき、エマはクロンシュタットの蜂起が失敗したことを覚ったとある。

コトリン島からフィンランドへ国境を越えた人数は約8000名だった。2000名を超す捕虜の中から13名が首謀者として非公開で裁判にかけられ死刑を宣告された。残る捕虜のうち数百名がクロンシュタットで銃殺されたといわれている。残りの捕虜は本土の監獄へ移され、数ヶ月に渡って銃殺された。生き残った捕虜は強制収容所へ送られ、強制労働に従事させられた。クロンシュタットの水兵たちの誤算は、ペトログラードの労働者たちが呼応せず、援軍も来なかったことだった。他国の援助もなく、食料や弾薬が早々に底をついた。

1921年2月28日、クロンシュタット港の『ペトロパブロフスク』艦上で下記15項目の決議が可決された。

1. 現在のソヴェトは労働者と農民の意志を表現していない事実にかんがみ、すべての労働者と農民への事前に扇動をおこなう自由とともに、即時秘密投票による新選挙を実施すること。
2. 労働者と農民に、アナーキストと左翼社会主義諸政党に、言論及び出版の自由を与えること。
3. 労働組合と農民諸組織に集会の自由を確保すること。
4. 遅くも1921年3月10日までに、ペトログラード、クロンシュタット、およびペトログラード県の労働者、赤軍兵士、および水兵の無党派集会を召集すること。
5. 労働ならびに農民運動との関連において投獄されているすべての労働者、農民、兵士、および水兵と同じく、社会主義諸政党のすべての政治犯を釈放すること。
6. 監獄と強制収容所に抑留されている者たちの一件を再検討する調査委員会を選出すること。
7. いかなる政党もその理念の宣伝において特権を与えられたり、かかる目的に対して国家の財政的援助を受けてはならないがゆえに、すべての政治部を廃止すること。その代わり、地方的に選出され国家によってまかなわれる、文化ならびに教育審議会が設置されるべきこと
8. すべての道路遮断分遣隊を即時撤収すること。
9. 健康に害のある職種に雇われている者を除いて、すべての勤労人民の配給量を平等化すること。
10.工場と作業場において監視の任務につけられている共産党警備隊と同じく、軍隊のすべての部署における共産党戦闘分遣隊を廃止すること。そのような警備隊あるいは分遣隊が必要であると判明したときには、それらは軍隊では卒伍から、工場と作業場では労働者の判断によって任命されるべきこと。
11.農民が自身の手で、すなわち、雇用労働を用いることなく生産するという条件のもとで、農民に土地にかんする完全な行動の自由を、また家畜を保有する権利をも与えること。
12.われわれの同志士官学校生徒(クルサントゥイ)と同じく、軍隊のすべての部署に、われわれの決議に裏書きを与えるよう要請すること。
13.新聞がわれわれの決議の一切を広範に報道するよう要求すること。
14.巡回統制局を任命すること
15.自身の労働による自由な手工業生産を許可すること。

もしボリシェヴィキ政権がこの決議を受け入れたら、ロシアは違った国家になっただろうか。ツァーリズムを倒したボルシェヴィキは独裁的支配を強化されてしていく。農民と労働者の国家を目指した革命は成就されなかった。共産主義革命が何らかの希望となる時代は終わってしまった。クロンシュタットの叛乱を鎮圧した指導者もまた体制の犠牲者となった。ジノーヴィエフ、トゥハチェフスキー、ドゥイベンコはスターリンによる大粛清において銃殺された。トロツキーは亡命先のメキシコでソビエト秘密警察によって暗殺された。

著者 : P.アヴリッチ
訳者 : 菅原崇光
出版社 : 現代思想潮社
発売日 : 2008/03/31
単行本 : 332頁
定価 : 本体3500円+税

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