幽霊の日

日誌

橋北中学校水難事件

7月26日は幽霊の日。その由来は、1825年7月26日、江戸にある中村座にて四代目鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が初演されたからだそうだ。そんな日に最近知った海難事故を紹介したい。橋北中学校水難事件は有名な水難事故らしいが管理人は全く知らなかった。この水難事故を知ったのはhuffpostの記事を読んだからだ。

1955年7月28日、三重県津市中河原海岸で水泳訓練中の同市橋北中学校の女子生徒が36名が溺死した。当日は快晴無風で波もなかった。男子生徒と女子生徒が分かれて、水泳訓練のテストを受けていた。参加した女子生徒は約200名だった。海に入ってすぐに、女子生徒と教師を含めた約100名が溺れだした。異変に気づいた職員や水泳部員等が救助に向かったが36名が亡くなった。

不思議なことに近くで同じく水泳訓練をしていた男子生徒には犠牲者がいなかった。裁判所の判断では、局所的な異常流が発生したとしている。しかしながら異常流が発生した原因については断定を保留した。快晴無風で波も無い遠浅の海水浴場で100人近くが溺れるというのは普通なら考えにくい。この水難事故が別の意味で有名になったのは、救助されて女生徒の一人が週刊誌に手記を発表したからだった。huffpostの記事には次ぎようにある。

「弘子ちゃん、あれを見て!」私のすぐそばを泳いでいた同級生のSさんが、とつぜん私の右腕にしがみつくと、沖をじっと見つめたまま、真っ青になって、わなわなとふるえています。その指さすほうをふりかえって、私も思わず、「あっ!」と叫んでSさんの体にしがみついていました。私たちがいる場所から、20~30メートル沖のほうで泳いでいた友だちが一人一人、吸いこまれるように、波間に姿を消していくのです。すると、水面をひたひたとゆすりながら、黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくるではありませんか。私とSさんは、ハッと息をのみながらも、その正体をじっと見つめました。黒いかたまりは、まちがいなく何十人という女の姿です。しかも頭にはぐっしょり水をすいこんだ防空頭巾をかぶり、モンペをはいておりました。夢中で逃げようとする私の足をその手がつかまえたのは、それから一瞬のできごとでした。
(女性自身1963年7月22日号「恐怖の手記シリーズ(3) 私は死霊の手からのがれたが… ある水難事件・被害者の恐ろしい体験」)

この手記を書いたかたがNHKの番組で、この手記は週刊誌が書き換えたものだと真っ向から否定したそうだ。このかたはそれ以前の民放の番組では、手記は本当にあったことと述べているらしい。管理人はどちらの番組も観ていないので判断しようがない。huffpostの記事によると、この海岸は遊泳禁止ではないが泳ぐ人がいないそうだ。

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