「近代日本一五〇年」 山本義隆

本の話

『世界の見方の転換』のあとがきに書かれていたのが本書に当たるのかどうか分からないが、本書は明治からの日本科学技術と政策との関係を辿る科学技術史といった感じ。本書は2016年に京都精華大学で行った講演に基づいて書かれたもの。

明治以降、日清・日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦を通して、日本の科学技術は政府主導による総力戦体制の中で成長してきた。第二次世界大戦後の原子力発電でも、民間企業による自由競争というよりも政府・官僚が主導で原発推進が行われてきた。福島第一原発事故処理は進まず、高速増殖炉「もんじゅ」は廃炉となり、ウェスチングハウスを買収した東芝は経営破綻した。それでもなお、日本政府は原子力発電の海外輸出を積極的に行おうとしている。

第二次世界大戦敗戦直後、科学者・技術者や軍人も含めて日本では敗戦の原因として「科学戦の敗北」「科学の立ち遅れ」がさかんに語られた。しかし、敗戦の本当の敗因は別のとこるにある。

 第一次大戦で、今後の戦争は長期持久戦・物量戦、すなわち長期にわたる資源の消耗戦となることを学んだはずの軍が、米国との開戦にあたっては、短期決戦で事が運ぶような主観主義に囚われていたのであり、制空権・制海権を事実上奪われた段階で、共栄圏の資源と食糧に依存した戦争経済が破綻していたのである。総力戦であるかぎり、戦争の帰趨を決するのは自国領土内に保有している資源の多寡であり、資源の圧倒的不足を挽回しうるほど科学技術は万能ではない。敗因は科学戦以前の話と言わなければならない。軍人が敗北の責任を科学技術に押しつけるのは、責任逃れに他ならない。
現実には「科学戦で敗北した」という総括は、責任逃れにとどまらず、初めて直面した原子爆弾の異次元の破壊力と殺傷力を背景に語られることにより、それまでの戦争指導の責任、および大本営の虚偽宣伝でもって戦況を偽り、そのことによって敗戦の受けいれを先送りしてきた責任をうやむやにして、民衆に敗戦を受けいれさせるための、願ってもない口実を戦争指導者たちに与えたのである。

もし敗戦の原因が「科学の立ち遅れ」ならば、その責任は科学者や技術者が負うべきことになるが、科学者や技術者にはその自覚がなかった。むしろ軍人や官僚に対する被害者意識が強かった。

永遠に続く経済成長というのは幻想というかおとぎ話で、いつかは経済成長が下降するときがくる。というかすでに来ているのかもしれない。科学技術の進歩にもとづく生産力の増強と経済成長の追求という「近代日本一五〇年」の歩みから決別すべき時がきたと著者は述べている。

 日本は、そして先進国は、成長の経済から再分配の経済にむかうべき時代に到達したのだ。この二〇〇年間の科学技術の進歩と経済成長は、強力な生産力を生み出したが、同時に地球を何回も破壊できるだけの軍事力を生み、少数国による地球資源の収奪を加速させ、世界中の富をきわめて少数の人たちの手に集中させることになった。
限りある資源とエネルギーを大切にして持続可能な社会を形成し、税制や社会保障制度をとおして貧富の差をなくしていくことこそが、現在必要とされている。
かつて東アジアの諸国を侵略し、二度の原爆被害を受け、そして福島の事故を起こした国の責任として、軍需産業から撤退と原子力使用からの脱却を宣言し、将来的な核武装の可能性をはっきり否定し、経済成長・国際競争にかわる低成長下での民衆の国際連帯を追求し、そのことで世界に貢献する道を選ぶべきなのだ。

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