「カバに会う」 坪内稔典

本の話

本書は全国のカバに会いに行く紀行エッセイ。カバーを掛けずに岩見沢行きの電車の中で本書を読んでいたら、向かいに座っていた学生とおぼしき女子がちらちらこちら見ていた。酪農大学の学生なんだろうか、彼女もカバ好きなんだろうかと妄想していたら彼女は大麻駅で降りていった。

俳人が全国にいる六十頭(執筆当時)のカバに会いに行く旅は何ともユーモアに溢れた面白い旅。著者は還暦になったので何か記念になることをしたいと思い、還暦記念全国カバめぐりの旅にでた。旅には目的を設けないことにして、俳句などを読まない。そのかわり、最低1時間はカバの前に著者はいるようにしたそうだ。平日の昼間、おじさんがカバ舎の前でずっとカバを見ていたらちょっと怪しい。著者は小学生の頃、カバヤキャラメルの景品だったカバヤ文庫に親しみ、カバヤの宣伝車を追いかけて以来のカバ好き。管理人はカバヤの宣伝車を見たことが無いけど。

意外と俳句にカバが登場しているのは著者の影響なんだろうか。本書の冒頭『河馬の馬鹿』という句集が紹介されている。「河馬の馬鹿成功せずとも性交し」「三月のうふふふふふの河馬の馬鹿」「四月には産んだまねする河馬の馬鹿」「五月来て曇ってしまう河馬の馬鹿」「稔典も河馬の馬鹿かよはよ寝ろよ」。三月~の句は、著者の「甘納豆十二句」のもじりだそうだ。著者の句には、「河馬へ行くその道々の風車」「春を寝る破れかぶれのように河馬」「桜散るあなたも河馬になりなさい」「水中の河馬が燃えます牡丹雪」がある。

 カバへの旅とは何だったのか。今にして思えば、それは自分を面白くする企て、であった。私は各地のカバの前で、気分の根っこのようなものをわくわくさせていた。
気分が沈滞すると言葉も元気を失う。感性とか思考とかも鈍る。いつのころか、そのように考えるようになった私は、意図して自分の気分を刺激し、わくわく感を醸そうとした。それが、毎朝必ずあんパンを食べるとか、柿を訪れるとか、カバに会うという行動になった。過剰なまでに何かを愛することが私の気分を刺激した。その愛する何かは、一般的にはあまり高く評価されていないものがよい。どちらかといえばバカにされたり見過ごされたりしているもの。そういうものを過剰に、しかも意識的にこだわって愛するとき、気分がわくわくする。

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