「記憶の海辺」 池内紀

本の話

自伝的回想録と帯にあるけれども、普通の回想録とはちょっと違っている。何年か前に読んだ日本人文学者や学者の回想録は、自慢話、言い訳、死者への批判とこんな人の著作を読んでいたのかとガッカリすることが多かった。回想録を読んでその著者の本を読まなくなったこともあった。本書はそのような回想録とは異なり、個人的な部分が少なく、これまでの翻訳や著作に関する回想がメインとなっている。

管理人が一番面白かったのは最後の章「I・O氏の生活と意見」だった。著者の家にはパソコンもテレビもケイタイもなく、新聞も取っていない。ついでに車もセカンドハウスや別荘もないが、夫婦に各一台自転車を持っている。著者は朝4時に起きて、CDを聴いてから午前10時まで仕事をする。仕事が終わってから朝食を取る。遅い朝食の後は、籐椅子でうたた寝。著者は原稿を書くのに原稿用紙ではなくコピー用紙を使用するということだ。高血圧体質のため、二ヶ月に一度へ通う。当今の情報メディアをきれいさっぱり欠いて、ときおり丸善に出かけてドイツの週刊誌「シュピーゲル」を買い求める。「モノをもたないことこそ最高のゼイタク」と著者(というか婦人)が述べている。

 どんなに辛いことをかかえていようとも、夜ともなると眠くなり、その日、また次の日と、眠りのあとには快い回復があります。「クヨクヨしてもはじまらない」とか、新しい見方がきざしてきて、気がつくと辛さがうんと薄れているもので、「三年寝太郎」や「ねむり姫」の話からもわかるように、眠りのあとには幸運がくると古人は考えたようです。眠りという空白がはさまって新しい局面が訪れる。眠りがそなえている忘れさせるという効用のせいと思われます。まるきり忘れさせるわけではないが、記憶を少しずつ浸食していく。少なくとも眠っているあいだは忘れていられる。いつのまにか、記憶がすっかり風化しているものです。

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