「北海道 地図の中の廃線」 堀淳一

本の話

本書は先月亡くなられた堀淳一さんの最後の著作。著者は完成本を見ることができなかったと新聞の記事にあった。著者は管理人にとって大学の大先輩。管理人が大学に入学する前に、著者は大学を退職してエッセイストに専念した。著者の物理数学の本は、読んだというか勉強したことがあったが、エッセイを読むのはこの本が最初。「地図の中の鉄路」を先に購入して、パラパラながめて撮影場所の参考にしていたところ、著者が亡くなったのを知り慌てて本書を購入して先に読むことにした。

旧国鉄時代の北海道の路線は沢山あった。ニシンが取れなくなり、炭鉱の閉山が相次ぎ、廃線が増えていった。北海道新幹線もぱっとしないし、将来北海道には鉄道が無くなるのではと思ってしまう。最近特急の自由席に乗っていて、乗客は中国の人たちのほうが多いことが度々ある。道東や道北の廃線跡は行ったことがないところ多く、文章を読んでいても風景が浮かばないというかどうなっているか想像するしかなかった。本書の文章は、旧著から集成して、大幅な加筆・修正を行ったもの。そのため、著者が歩いた廃線跡はいっそう荒廃が進んでいるのではと思う。管理人が最近行った旧羽幌線や旧炭鉱関連の路線はそれらしき痕跡が残っているが本書で紹介されているような風景ではなかった。本書には古い地図が掲載されているけれども、写真が無いのはちょっと残念。

 石炭産業の衰退は歌志内線の沿線と同時期であるのに、鉄道の廃止が六年も遅いのはなぜか?
実は「上砂川線」というのは正式名称ではない。正式には「函館本線上砂川支線」と言わなくてはならないのだ。つまりこの線は、ローカル支線ではなく、レッキとした函館本線の一部だったのである。そのおかげで、六年余り廃止がおくれたのだった。
ちょっと余談にわたるけれども、ペンケウタシナイのペンケはアイヌ語で「上」、ウタシナイは「砂浜の多い川」を意味する。「歌志内」の名は、この音をそのまま漢字化したもので、砂川市の「砂川」はこれの日本語訳だ。また、ペンケウタシナイの訳は「上砂川」となる。対してパンケウタシナイのパンケは「下」だから、全体の訳は「下砂川」となる。
だからこの谷を「上砂川線」が走っているというのはちょっと、いや大いに可笑しいのだが、川の名の上下は、石狩川の支流の位置としての上下であるのに対して、上砂川線の「上」は、上砂川町という終点の町が砂川市からみてパンケウタシナイ川の上流にあるゆえの「上」なのだから、実は可笑しくはまったくない、ということになる。

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