「我が詩的自伝」 吉増剛造

本の話

札幌国際芸術祭2017 の時、吉増剛造「火ノ刺繍 – 『石狩シーツ』の先へ」展を見に行った。映像作品《石狩の時間の皺皺皺皺・・・・・・》を見て、詩は本人の朗読で鑑賞するのがいちばんよいのではないかと思った。この時、たまたま会場にご本人と今福龍太さん(と知ったのは帰宅後だった)が居られて、三人だけで《石狩の時間の皺皺皺皺・・・・・・》を見ることになり、不思議な感じがした。吉増剛造さんの著作は読んだことがなかったので、すぐ本書を購入した。まあ読み始めたのはその三ヶ月後だったけれども。

映像作品《石狩の時間の皺皺皺皺・・・・・・》で「石狩シーツ」の朗読を聴いて凄いなあと感動した。それは「詩人吉増剛造」がとても興味深い人でその魅力なんだろうと思う。本書を読むとその一端を知ることができる。受動的統合失調症でひきこもり専門と自身を規定する。「言葉を枯らす」という表現が独特な意味に使われており、管理人には理解が難しい。

管理人は著者と写真家との交流が面白かった。島尾ミホさんやマヤさんの話がでてくるけれど、島尾伸三さんは本書では登場しない。アラーキーが一番気が合った写真家だと著者は述べている。「アラーキーや僕みたいなのは(「provoke」には)入れないよ」と自嘲気味に著者は言っているが、アラーキーは「provoke」に参加したかったと別の本で読んだような記憶がある。

 アラーキー(荒木経惟)もそのころデビューしていて、僕はしょっちゅう言っていたんだけど、「おまえさんと俺とが『provoke』からのけられたよな」と(笑)。それには政治的なものが絡んでいたんですね。「provoke」の持っている政治性というのか、・・・革命を志向するのが中平と岡田と多木さんの志向だから。それはもうはっきりしてて。だからアラーキーや僕みたいなのは入れないよ(笑)。僕はその前から東松照明さんがものすごく好きだった。東松さんとアラーキーは好きだったし、写真については発言も随分しているし自分でも撮ってたから。アラーキーには犬のような目、もっと下の目があるのよ。中平や岡田なんかは上っ面のほうだけど、アラーキーは江戸のげた屋の息子だから、下のほうをさわるような、本当のところがあるわけ。それで四十年つき合った。それは「provoke」とは違う。それをいうと「provoke」の人たちは怒るだろうけどね。
政治性、というか革命志向は、特に中平卓馬です。中平卓馬氏とは一緒に「アサヒカメラ」で座談なんかに出てたりしてお互いに知っているよ。中平氏のBLDギャラリーの展覧会のときにも会場で会った。だけど、そんなに肝胆相照らすというふうじゃない。本能的にちょっと人種が違うなというのがあるからさ(笑)。東京の一番過激なところにいる編集者で、ラジカルで、という、そういうタイプですからね、僕は全然違う、そういうんじゃないもの。もっと下のほうのくずみたいなところを行く性質があるから(笑)。

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