「自分で考える勇気」 御子柴善之

本の話

立ち寄った書店で「岩波ジュニア新書フェア」が開催されおり、本書が目にとまり購入。夏休み向けの企画なんだろうけど、本書の帯には「LEVEL2 文章力・読解力・論理力をみがく」「一歩先へ!自分の<引き出し>を増やそう」とある。岩波書店らしからぬキャッチコピーで、管理人が高校生の頃なら買わなかったと思う。「引き出し」を増やしても中身が空っぽでは何にもならないよねとおじさんが皮肉を言ってもしようがない。

本書の副題に「カント哲学入門」とあるとおり、カントの哲学を解説しながら、「自分で考えるとは何か」について述べられている。ジュニア新書だけれども内容はそれほどやさしくない。本書でも「判断力批判」のところで躓いてしまった。著者は、目的論的自然観に場所を与えたからといって、カントが自然に目的が内在すると考えたわけでも、自然物はなにか超自然的なものの目的に従って造られていると考えたわけでもないと述べている。目的論的自然観というのは人間を超えたなにかを考えないと矛盾するのではないかと思うが。

本書でいちばんわかりやすいのは「永遠平和のために」のところだと思う。国家は自国の利益のためには、他国を侵略し殺し合うこともある。永遠の平和はありえないことに思えるが、人間がその理想について考えることをやめてしまえば、この世界の争いに終止符をうつことは困難である。

 人間社会の現実に即すなら、永遠平和の実現など不可能に思われるでしょう。しかし、私たちが、この事実だけに服従して、あるべき国家やあるべき世界を思い描くことを止めてしまえば、私たちはこの世界を改善する方向をも見失ってしまうことになります。
そもそも、永遠平和の実現は、個人の自由に基づく「私のもの・あなたのもの」を確定するものでした。そうだとするなら、私たちが、<私のもの>と<あなたのもの>とを明確に区別し、私が<あなたのもの>を侵害しないように、あなたに<私のもの>を侵害されないように行為するとき、それは永遠平和への途上にある振る舞いと言えるのではないでしょうか。こうして永遠平和の問題は、私たちひとり一人の行為へと戻ってきます。

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