「私情写真論」 荒木経惟

本の話

本屋をぶらぶらしていたら、本書が平積みになっていて、てっきり新刊本だと思い購入。読み始めて、何か読んだことがある文章が続くなあと思い、一番後ろを見たら「アラーキズム」(1994年作品社)からの再編集とあった。こういうことは帯とかに書いておいてほしかった。おまけにアマゾンではカバー画像もないし。「アラーキズム」を読んだことがないひとにとっては新刊本と同じかもしれないが。「アラーキズム」のほうは絶版のようだ。

本書は写真論とあるが、雑文集といった感じだ。中平卓馬的写真論を期待するとガッカリする。まあ荒木さんの本を読むひとはそんなことは期待しないか。著者はやはり映像のひとで、言葉のひとではないと思う。本書の後半は、インタビューというか聞き書きが多い。本書のなかでは、奥さんの陽子さんに関する文章がよかった。ちなみに管理人が好きな写真集は『センチメンタルな旅』、『東京物語』と『冬へ』。

 『センチメンタルな旅』には、笑顔のヨーコの写真が一枚もない。笑顔はあったはずなのに写していない。つまらなそうな顔の写真ばかりである。ヨーコは、この写真集の中にスキな写真が一枚もないと言ってた。私は、私の写真論のためにヨーコを単なる素材に使ったにすぎなかったのだろーか。いや、けっして、愛の日常が、無常であったはずがない。
それにしても、この写真集はフシギな写真集だ。新婚旅行最終の地、九州柳川での川下り、ヨーコが旅の疲れか舟でねむってる写真があるのだが、このポーズが胎児のそれなのである。
一月二六日の十時頃ヒゲを剃ってると、女子医大から、容態が急変したとTEL。かけつけてみると、すでに昏睡状態。なにか言葉が欲しくて、ヨーコ、ヨーコ、ヨーコと声をかけては口もとに耳をあてた、アナタ、と言った。その後は呼吸音だけ。泣き声のようだった。手指をにぎりしめると、にぎりかえしてきた。お互いにいつまでもはなさなかった。
午前三時十五分、奇跡がおこった。ヨーコが目をパッとあけた。輝いた。私はベットにあがって、何枚も撮った。久しぶりのデュオだった。
それからはしゃべりっぱなしだった。そんなにしゃべると疲れるからすこしねむったらと言ったら、ねむるとさみしい、と言った。
しゃべりつづけた。なぜか少年のコトバになり、幼児になっていった。そして逝ってしまった。私は『センチメンタルな旅』で胎児のヨーコを写してしまっていたのである。

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