フラッシュメモリ

日誌

フラッシュメモリについて思い出すこと

東芝半導体部門売却交渉で思い出したことを書いてみたい。経済的な話ではなく半導体の話。以前、管理人は半導体メーカーに勤めていた。当時管理人がいた部門でフラッシュメモリを開発することになり、「フラッシュメモリについて勉強しろ」と部長から渡されたのが、東芝(当時)の舛岡富士夫さんの論文だった。

舛岡さんは一括消去型EEPROMの発明者で、フラッシュメモリの名付け親。当時EEPROMは1bit単位で消去していたのを、フラッシュメモリはブロック単位で消去することでメモリの大容量化を可能にした。とくにNAND型フラッシュメモリはメモリセルの面積が小さく大容量メモリに向いていた。。NOR型とかNAND型というのはセル構造の違いで、NAND型はゲートが一列に並んでる。iPhoneもiPodもない当時、フラッシュメモリを何に使うかというのが問題だった。EEPROMは携帯電話用に需要が伸びるという予想だったが、大容量の必要性はまだなかった。

結局、管理人がいた部門では独自フラッシュメモリの開発を断念。管理人は別の部署に移動し、会社はNOR型フラッシュメモリを米国会社と共同開発することになった。その頃、舛岡さんは東芝半導体研究所の所長で、フラッシュメモリの功績で出世しのだと思っていた。ところが舛岡さんが東芝を辞めて、東北大学の先生になったのを知って、「なぜ?」と管理人は思った。後から知ったが、舛岡さんは半導体の研究開発から外されていたそうだ。所長というのは名目上で閑職に追いやられたかたちだった。

携帯プレーヤーやスマホの出現で、NAND型フラッシュメモリは生産が追いつかないほどになった。舛岡さんは発明の対価について東芝を相手取り東京地裁に訴えを起こす。裁判所の仲裁で和解することになったが、和解金は1億円に満たなかった。

今のところ、東芝半導体部門の売却先がどこになるのかわからい。まさかあの東芝がこうなるとは正直思わなかった。長く生きていると予想外のことがいろいろ起こる。

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