「旅の食卓」 池内紀

本の話

本書はWEBマガジンに連載された旅と食について語ったエッセイをまとめたもの。少し長い文章の「魚沼の食材とおやつ」は南魚沼市発行の小冊子に載ったもの。本書を購入したのは7月の終わりだったが、どういうわけか第1版第1刷が2017年8月17日となっている。本書には特別付録としてイケウチ画伯謹製「旅の絵はぎ」3葉がついている。

旅と食について語ったエッセイといっても、具体的な店の名前や場所が詳しく書かれていないので、本書を読んで同じ店に行くのは難しいと思う。「石狩川と鮭」では当別町が紹介されているが、当別に「そんな店あったの」という感じ。本書は「旅のグルメ」というより地方の食文化の紹介という側面が強い。それにしてもイケウチ画伯はよくお酒を飲む。お酒をあまり飲めない管理人には羨ましいかぎりだ。そしてイケウチ画伯は丼ものが好きだ。「長崎のカツ丼」で特注のカツ丼を食べる箇所の文章が素晴らしい。

 高台の古いお宿で特注のカツ丼をいただいた。さぞかし調理場のヒンシュクをかっただろうが、私は丼物が好きなのだ。磯吉案のほかにも、天丼、ウナ丼、玉丼、親子丼。変わりダネではアナゴ丼、イクラ丼、ウニ丼・・・。
 まず容器がいい。丼は丼鉢がつきもので、大ぶり、厚手、まん丸い蓋つき。全体がお多福の頬のように福々しい。おいしく食べるということの幸せを、まさしく容器であらわしていて、アツアツを、しばらくうれしく撫でまわしている。
 蓋をとると、フワリと湯気が立ちのぼる。いっしょに仄かな匂いが鼻をくすぐりにくる。知られるとおり丼物は上の具と下の飯からなりたっており、正確にいうと、下の飯は二種類あって、おしるのしみたところと、しみていない白いごはんのところがある。わが独断であるが、その比率七・三といったところが望ましい。おしるのしみていない白いごはんが大切なのだ。三くち、四くちとしみたのがつづくと、舌が重くなる。そんなとき白いごはんを口に運ぶと、舌が浄められたぐあいで、味覚が再び活気づく。
 丼物はせわしなく、ガツガツ食べるものなのだ。夢中で喉に書きこんで、気がつくと、上の具のあらかたが姿を消している。だからといって配分をまちがったわけではないだろう。わき目も振らずに食べると、たいていこうなる。そのためのおしんこであって、つまんでひと息入れ、目分量で勘案する。具の残り、おしるのしみた残り、白いごはんの残り。せわしなくかきこんでいるようでも、きちんと味と量の配分をしているものである。
 一つぶ残さず、きれいにたいらげた。丸い丼物はそれ自体が胃袋の形と似ており、中身がそっくり鉢から袋に移動した。手にした鉢の重みが胃袋に移り、鉢にしたのと同じように、われ知らず腹を撫でていた。

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