「素手のふるまい」 鷲田清一

本の話

本書の冒頭で「アートが社会的に何の役にも立たないことにおいてのみ社会に役立つ」という逆説が提示されている。東日本大震災直後、被災地に様々なアーティストが駆けつけ、人々を励ましたり、ボランティア活動を支援したりした。また、「絆」の連呼に疑問を持ち何もしないアーティストもいた。被災したひとの心を癒やすとか元気づけるというような社会に役に立つアートという側面だけにとどまったものだとしたら、「アート」は薄っぺらな意味しかもたないだろうと著者は述べている。

東日本大震災では多数の写真家が被災地を撮影したが、単に野次馬的興味や一発当ててやろうという山師的な発想のひともいただろう。継続的に被災地の人たちと関わり、撮影を続けている写真家もいる。本書で紹介されている志賀理江子さんは、2008年の冬から宮城県名取市北釜地区に住み、村の記録写真係という仕事をしながら村の人たちの話を聴き続けた。3月11日の津波で彼女の工房も家も流され、村人ともに避難所に暮らし仮説住宅に移動した。震災後、彼女は「村の写真屋」として流されちりぢりになった写真を拾い集め、洗浄したり、住民のために証明書用の写真も撮影した。

志賀理江子さんがはじめてカメラを手にしたとき、現実を思い通りに構成し直し支配する感覚に酔いしれ、「ガチガチの構成写真」を撮っていたそうだ。写真はもろもろのイメージによって組み立てられた世界から自己を外すうってつけの媒体だった。志賀さんは2007年12月に作品集『CANARY』を発表する。管理人は『CANARY』を見ていないし、本書には『CANARY』の写真がないので文章から想像するしかないが凄そうな感じだ。

 偶然に出会った光景のあらためての再構成、その再構成の作業にさらに偶然が作用するのも拒まない。<わたし>のなす恣意的な構成をこの偶然によって封印し、さらにこの偶然をも撮し込んだ写真によって、撮られた現実の世界も撮る<わたし>をも解体する?写真というイメージが立ち上がるとはそういうことなのかもしれない。それは、推移する生の時間のなかに柔な、しかし執拗な(共同の?)物語が埋め込まれ、その物語に生の推移がそっくり沿わされてゆくことへの苛立ちからくるようにおもわれる。志賀は別の箇所で、写真を絵本になぞらえてもいる。「物語の完全な停止が絵本にはあった」、それと比べれば(テレビを見るときがそうだが)「連続した画像に身を委ねる」のは安楽なことだと、吐き捨てるように言っていた。とすれば、志賀は世界と隔絶しているときのその「速さ」の甘味よりも、ほんとうは世界とのぎしぎし軋む摩擦やそれによる裂傷のほうにこそ向かっていたといえる。いいかえると、物語を機能停止に追い込むこと、かわりに皮を剥がれた肉体を写真とともに立ち上がるであろうイメージのなかに深く挿入すること。彼女は、かつて世界に拮抗するためにおのれの身体にかけていたその負荷を、こんどはシャッターを切るまでの準備過程へとかけ換えたのだ。

志賀さんは震災から約1年8ヶ月後、『螺旋海岸』展を行う。本書のカバー写真は『螺旋海岸』からのもの。『螺旋海岸』は渦巻くように写真が展示された。『螺旋海岸』の被写体は北釜地区の人たちだった。震災前から北釜地区の人たちの話を聴き続けていた志賀さんは、写真を撮るという行為もまた、「浮つくところがない「北釜の言葉」」に重ねあわせるべきものであることに気づく。写真こそ過去・現在・未来という時間の流れを凍結するメディアとしてあるからだ。カバー写真にある同心円の線条は、過去・現在・未来をいまここに集極させる印画紙に焼き付けられた像にほかならない。だからこそ『螺旋海岸』の展示は螺旋状でなければならなかった。

 表現とはけっして個人のプロジェクトではない。とはいえそれは、なにかある同一の価値に手を携えて向かうということでもない。それは、いってみればもっと非決定的なものであろう。個人の内なる動機とか衝迫とかからひきだされる必然として制作はあるのではなく、他者に晒され、ときに他者に身をあずけることで、つねにおなじように「わたし」であろうとする強拍から解き放たれる、そのような偶然を孕んだ可能性、それをたぐり寄せる行為として制作はある。その可能性は、じぶんとは別の存在、つまりは他者との偶然の遭遇によって他者のほうからいわばわたしに贈られるものだ。が、わたしの存在もまたみずからそうと気づくことなく、それを他者に贈り返している。

アートと社会との関係性ということで本書には志賀理江子さん以外のいろいろなアーティストが紹介されている。本書で管理人は志賀理江子さんが一番印象に残ったというか衝撃を受けた。アートについて著者は最後の章で次のように述べている。

 人びとが固まりはじめたら、人びとをつなぐシステムが凝固しはじめたら、すぐに溶剤をかける。固まるものからたえずすり抜ける。糾合しようという動きにたえず抗う。そのようにいつもシステムの外部に片足を掛けていようとする人は、システムから外されてきた人たちの輪のにもたやすく入っていける。
そして、わたし(たち)の存在を塞ぐもの、囲い込むもの、凝り固まらせるものへの抗いとしてこそ、アートはある。他者との関係、ひいては自己自身との関係をたえず開いておくために、そこにすきまをこじ開ける動性として、アートはある。とすれば、生を丸くまとめることへの抗いとして、アートはいつも世界への違和の感覚によって駆動されているはずである。そしてそれがまた、システムにぶら下がらなくても生きてゆける、そんな力の育成につながるはずである。そう、<<生存の技法>>に、である。

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