「1937」 辺見庸

本の話

本書を読んでいて思い出したことがあった。以前夜中に帰宅しているとき、タクシーが急に止まり、若い女性が慌てて降りてきた。その女性は片手をついてしゃがみ込み吐き始めた。タクシーは、ドアを開けて止まったままだった。管理人はそのまま歩いて自宅に帰った。

「1937」という題名と帯に「記憶の墓をあばけ」とあったので「南京事件」のことを書いたものかと思った。記憶の墓をあばく対象は主に著者の父親で、著者の父親が中国へ派兵されたとき何を行ったかを著者は探っていく。それは父親=日本人が、1930年代以降1945年まで中国大陸で行ったことの追求になっている。

本書では堀田善衛の「時間」が通奏底音のように度々引用されている。「時間」は中国人の視点で、「南京事件」を描いた小説。管理人は読んだことがなかった作品で、11月に岩波現代文庫化されたのでさっそく購入した。まだ読んでいないのだけれども。

本書でもっとも印象に残ったのは武田泰淳の「汝の母を!」を紹介した箇所だった。中国の田舎町で、放火が疑われる火事があいついだ。そこに駐屯していた日本軍部隊が「密偵」容疑で母子を捕まえる。「強姦好き」の上等兵が母子に性交させてみようと提案する。息子は命令に従えば、釈放してくれるかと隊長に問い、隊長は許可する。日本軍兵士がとりまくなか性交が実演させられ、そのあげく放火犯として母子二人は焼き殺される。私(武田泰淳)は「全然見なかったわけではないが、ほとんど見なかった」。武田泰淳は「汝の母を!」で責任を誰かに問うことはしない。そのかわり母親に「すべてが敵の悪、戦争の悪のせいだと言い切れるのだったら、どんなにいいことだろう」と語らせる。

 ここにおいて、わたしたちはこれまでもっとも安易に飛びこむことのできた、思想や精神の逃げ場をうしなう。すべてを「戦争」のせいにしてきた論法の盲点をつかれる。戦争という名詞でなくともよい。天皇制ファシズム、軍国主義、国家主義、全体主義・・・といったことばたちの、実質的中身のないレーベルでもおなじことだ。「すべてが敵の悪、戦争の悪のせいだと言い切れるのだったら、どんなにいいことだろう」。そのとおりなのだ。それでは、敵の悪、戦争の悪以外に、どんな悪の深淵があるというのか。「汝の母を!」はそれをかんがえるように、読者というより泰淳じしんにせまる。「ツオ・リ・マア!」という最低の罵詈は、母子相姦を強制された二人にではなく、「大元帥陛下」以下のニッポン将兵と「銃後」のニッポンジンたちこそが浴びせられなくてはならなかった-という、いわばわかりやすい完結のしかたを、しかし、わたしに言わせれば、世界的傑作というべき短編はしていないのである。

日本で戦争体験を語るという場合、ほとんどが戦争被害者という立場のものばかりだ。「ヒロシマ・ナガサキ」「東京大空襲」「シベリア抑留」・・・。積極的に戦争加害者の立場として公に語っているひとは寡聞にして知らない。本書の最終章に、南京攻略戦当時陸軍第十六師団第三十旅団長として指揮をした陸軍中将の日記風の戦場録「南京攻略記」が紹介されている。ひとりを殺せば殺人者だが、100万人殺すと英雄になると言ったのはチャップリンだが、「南京事件」がいつの間にか数の問題にすり替えられていると著者は言う。臭いものに蓋をして、見て見ぬふりをしてすべては戦争の悪のせいだと言えるのか。

画家の香月泰男は「1945」という体中に無数の線条をはしらせた男が横たわる不気味な絵を描いた。彼は敗戦後奉天あたりで車中から衣服を剥ぎとられ、皮を剥がされた「赤い屍体」を見た。香月はヒロシマの屍体を被害の象徴する「黒い屍体」とよび、線路脇にみたニッポンジンの「赤い屍体」に加害者の死を象徴させる。「黒い屍体」の責任も、「赤い屍体」の責任も、被害の責任も加害の責任もまだ誰もとっていないと著者は述べている。

 「黒い屍体」も「赤い屍体」も、1937の狂乱と有頂天のなかではまったく想像だにされなかった。想像も予感もぜったいに不可能だった、というべきではない。だれも歴史の行方を、自由な意思でだいたんにおもいえがこうとしなかったのだ。ために、ひとびとは予想だにしない歴史にいっぺんにこえられてしまった。過去にこそ未来のイメージがある。「パット剥ギトッテシマッタ アトノセカイ」が、未来に先行して、いまやってくることもありうる。それがいまふたたび、かつてよりもはるかに大きなスケールでやってこないとだれが断言できるだろうか。過去の跫音に耳をすまさなければならない。あの忍び足に耳をすませ!げんざいが過去においぬかれ、未来に過去がやってくるかもしれない。

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