「モーロクのすすめ」 坪内稔典

本の話

本書は産経新聞大阪本社に連載中のエッセイをまとめたもの。2012年12月までの連載130回から86回分を編集した。管理人にとっては、「柿日和」以来の俳人ネンテン先生のエッセイ。今回は柿ではなく、モーロクというか老年に関するエッセイだが柿の話もでてくる。

本書を読むと、著者が普段しゃべるのが苦手で自分の世界に籠もるタイプで、初対面のひととは上手く話せないとあり意外な感じがした。また、あんパンを朝食として30年間食べているそうだ。著者がまわりの他者とつながることができるのは俳句やあんパンを通してだった。胃潰瘍で2度胃に穴があいたそうで、文章を読むと暢気そうに思えても、俳句つくりは大変なんだろうと思った。俳句に限らず何かを表現するという行為は労力のいるもの。

俳句はどのような時に作るのか。著者は締め切りを目の前にして作るそうだ。美しい風景を目の前にして俳句を詠んでもその美しさをなぞるだけで、所詮感動の二番煎じ。俳句では自分を表現せず、何かをどのように表現するかである。その表現の中にわずかに自分が現れると著者は述べている。感動を詠まず、自分を表現しないとは凄いことだと思った。写真でも自分らしい表現とか美しい風景の表現というのはまだレベルが低いのだろうと思うけど実際に行うのは相当難しい。まだまだ修練が足りないと痛感した。

 俳句は風景をなぞるものではない。眼前にはない風景を新しく作りだすのである。それにはそれ相当の構えがいる。たとえば締め切りが。締め切りに追われ、胃が痛くなるような思いをして、あるいは七転八倒して、私はたとえば次の句を作った。

春の暮れ御用御用とサロンパス


たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ


これらの句、締め切りに苦しむねんてんの姿が見えないとしたら、それこそねんてんがまさに俳人であるから。あっ、自分で言っては品を失うか。

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