「写真関係」 石内都

本の話

本書は写真家石内都さんのエッセイ集。石内さんのエッセイ集を読むのは「モノクローム」以来で2冊目。「モノクローム」は20年くらい前に読んで、写真はやはりモノクロームが良いと思った記憶がある。この6月には著者によるフリーダ・カーロの遺品を撮影した写真集が出版され、写真展も行われている。

本書を読んで驚いたのは、石内さんはモノクロームの撮影をやめて、カラーのみの撮影しているとのこと。暗室作業もやらないそうだ。使っているカメラはフィルムでデジタルではない。石内さんと言えばニコンF3使いだったと思うが、現在も使用しているような感じだ。

本書を読んで初めて知ったのが、「石内都」という名前が母親の名前だったということ。終戦直後によくあった、死んだと思った夫が帰ってきたときには、別の男性と暮らして母親は石内さんを身ごもっていた。母親は夫に新しい嫁を探してきて慰謝料を払い離婚したという。母親は学生だった父親に運転手をして仕送りし生活を助け、卒業後に結婚した。その頃、栃木県で実際に車を運転していた女性はひとりだけだったそうだ。

石内さんのカラー写真は見たことがなかった。たぶん今後も見ることはないと思う。

 ではカラー写真がモノクロームに比べて意図的、意識的ではないかというとそんなことはなく、写真撮影の基礎はどちらもあまり変わらない。何が違うかと言えば、カラー写真は自然に近い表面を持つことだ。カラーを総天然色と呼んでいた時代もある。私はほとんど太陽の光だけで写真を撮っているので、カラーに移ってからのほうがまさに自然体なのだ。
 カラー写真を撮るようになって気が付いたのは、自分の手からすばやく離れるようなスピード感があることだ。モノクロームはいつまでたっても自分で抱きしめていて、身体の一部になったような一体感が常に伴うが、カラーはまったく異なる感覚だ。ただし相変わらずネガフィルムでの撮影なので、その場で写っているのかどうか確認ができないため不安がいつまでものつきまとう。このデジタルの時代にあって、なんとアナログなことか。でもいいんです。これは私の姿勢ですから。
 写真は眼に見えない何かが写っていてほしいと願うから、フィルムに固執している。ネガが光によって反転してポジになる。そこに気とか間とかが現れ、空気や匂いや記憶がジワリと写し込まれていると勝手に思っている。

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