「太陽の肖像」 奈良原一高

本の話

本書は写真家奈良原一高さんの初エッセイ集。いままでエッセイ集が出版されていなかったのは不思議な気がする。本書で収録されている文章は写真集に掲載されているものが多い。写真集以外では「カメラ毎日」と「アサヒカメラ」の連載されたものが大半である。「カメラ毎日」はカメラより写真のほうがメインの雑誌だったような気がする。最近のカメラ雑誌は、カメラ・レンズと撮影ノウハウの記事ばかりで写真についての論考というか評論の記事は少ない。そのため管理人はカメラ雑誌を見るのをやめてしまった。デジタルカメラを使うようになってから、カメラやレンズにあまりこだわりがなくなってしまった。

管理人が奈良原一高さんの写真展を見たのは「時空の鏡:シンクロニシティ」(東京都写真美術館)が最後だった。印象に残っているのはやはり「軍艦島」の写真と「消滅した時間」にあるアメリカ・インディアン村の2つのゴミ缶の写真だった。ヴェネツィアの写真は自分にとっては遠い世界の出来事の感じがした。

本書では第5章が一番面白かった。すでに写真家として名声を得て、複数の写真集を出版していた著者がダイアン・アーバスのワークショップに参加する。参加する理由は「いままでの仕事を忘れて、ゼロから写真を新しく考え直したい」ためだった。ある日、ダイアン・アーバスがワークショップ参加者に”What is photography”を語らせた。著者はスペインのブルゴス村での経験を話した。

 ブルゴスの町にはこうのとりの巣がいっぱいあった。石造りの教会の塔や民家の煙突など、屋根の上には白いこうのとりが宿っている巣が沢山みえた。僕は教会の鐘楼にある巣に眼をつけた。その巣の中には一羽のこうのとりがうずくまっていた。僕は望遠レンズをかまえて、そのこうのとりの飛び立つ瞬間を待った。何十分かの後、こうのとりがやおら身体を持ち上げかけた。いよいよ翔び立つぞ、そう思うと、カメラを握る指も汗ばんで来た。僕の頭の中にはこうのとりが大きく羽根を広げて浮かび上がった瞬間のイメージが湧き立っていた。ところが、脚を伸ばしたこうのとりは次の瞬間、僕に向かって糞をしたのだ。糞は真っ白な放物線を青空に描いて落ちて来た。それは衝撃的に美しかった。翔び立つ美しさよりも、もっと感動的な何物かが、そのシーンにはあった。しかし、そのショックにもかかわらず、僕の指は動けなかった。僕の頭の中にあった飛翔のイメージ、その先入観が邪魔したのだった。「写真を撮るときはいつも頭の中の半分はコンセプトを、そして残りの半分は空白にして置かなければならない。瞬間にフレキシブルに対応できる心の余白をいつも持っていなければいけない。なぜなら、写真はunexpectedなものだからだ」と僕はこの話を結んだ。

著者がロック・フェスティバルから戻り、その時撮影したフィルムを現像しているとき、ダイアン・アーバスが自殺したという電話をうけとる。ワークショップで著者が私的に録音したテープがダイアン・アーバスの写真集の刊行に役立った。その後、「カメラ毎日」編集長の山岸章二さんがダイアン・アーバスの特集を「カメラ毎日」に掲載し、1973年には日本でダイアン・アーバス展が開かれる。

奈良原一高さんは現在療養中ということで新作の写真展が開催されることは難しいと思う。本書も著者の友人たちの編集によるもの。

 写真は未来から突然にやって来る。僕の場合は、いつもそうだった。僕は空中にひょいと手を伸ばしてつかみとる・・・すると写真がひとりでに僕の手の中で姿を現す。カメラのシャッター・ボタンを押すとき、いつも僕は自分の身体が透明になって、写真の中のものと入れ代わるような気がしていた。そして、長い年月、写真を撮り続けていると、僕が撮る映像は未来の時空の中に既に誰かの手によって鋳型のように埋め込まれていて、時が経ち僕が発掘する瞬間が訪れるのを、ひたすら待ちわびていたかのようにさえ思えるのだった。きっとそうなのだろう。ビッグ・バンと共に宇宙の創造・進化が始まった時から、恐らくその前に在ったという真空の<無>の中のユラギに潜んでいた宇宙の意志によって、それはすでに用意されていたものに違いない。僕はただそれに出会い、それを取り出す使者の役目を果たしているだけなのだ。そうでなくては、この世にある数々の写真の不思議は納得出来そうにない。

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