「湛山回想」 石橋湛山

本の話

本書は1951年に刊行された『湛山回想』に「大正6年の早稲田騒動」を5章として挿入して文庫化した。管理人が購入した本は2018年夏の岩波文庫一括重版されたもの。最近の本はカタカナ言葉が多くて辟易していたので、古い本でも読むかと本書を手に取った。

本書が書かれたのは、著者が公職追放された時期でその後の政治家活動のことは書かれていない。明治末期から終戦直後の自伝的回想で、『東洋経済新報』関連のことが多く政治家としての回想は少ない。60年安保前後の政治情勢についての回想がないのは残念。別の本で何か書いているのかもしれない。初めて読んだ石橋湛山の文章は明快でわかりやすかった。

早稲田大学の哲学科を卒業して、経済学は東洋経済新報社へ入社後自分で勉強したという。「大正6年の早稲田騒動」というのは管理人は知らなかった。戦時中のことはあまり多くは書かれていない。転向後、埴谷雄高も東洋経済新報社に勤めていた時期があったそうで、あまり軍部の云う事を聞かない会社だったらしい。

敗戦後、石橋湛山は第一次吉田内閣で大蔵大臣を務める。一時期社会党との連立内閣を画策し、もう少しのところで実現かとなったところ失敗に終わる。政治の世界は、今も変わらずよくわからないことが多い。それにしても石橋湛山のような人物が大蔵大臣になったのは、現代と随分と違いがある。今の大臣になっている人たちとは教養の差が大きい。大臣が簡単な漢字の読み違えをするのを湛山が聞いたら何と言っただろうか。

 もちろん制度は人によって運用されるのだから、いかに良い憲法であっても、これに対する国民の自覚が足りなければ、また、いかなる弊害をかもし出さないとも限らない。今後の日本の政治家の最大の任務は、右の自覚を国民と共に高め、憲法の前記の箇条を生かし、民主主義政治を確立することである。選挙は、単に投票をかき集めることでなく、この自覚高揚運動を展開する機会として用いられなければならぬ。旧憲法時代のどろ試合的政争をもって政治と心得る旧式政治家が、もしなお存在するならば、彼らは政治社会から葬られなければならぬ。

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