「廃線紀行」 梯久美子

本の話

「狂うひと」よりも「廃線紀行」のほうを先に買っていたのに、読む順番が逆になってしまった。「廃線紀行」は新聞の連載中に読んでいて、著者をてっきり鉄道関係のライターと思い込んでしまっていた。北海道は廃止された路線が多いので、北海道だけで1冊になりそうだ。

鉄道ファンには、いろいろ「~鉄」という呼び名がある。廃線を巡るひとは廃線鉄というのだろか。廃線予定の路線のラストランに乗るのを「葬式鉄」というらしい。たまたま増毛行きの列車のなかでその話をしている人たちがいて「へえー」と思った。

本書で紹介されている廃線の西日本方面はわからないところが多かった。唯一京都の蹴上クラインだけは行ったことがあった。鹿島鉄道が廃線になってしまったのを知らなかった。最初に鹿島スタジアムへ行ったとき乗車した記憶がある。その後はバスに乗っていたのでわからなかった。管理人は鉄道ファンではないけれども、「呑み鉄」にはなってみたい。六角精児さんの「呑み鉄本線」を見てそう思った。

 地面の上を水平方向に移動するのは地理的な旅であるが、廃線歩きにはこれに、過去に向かって垂直方向にさかのぼる歴史の旅が加わる。廃線の旅の必携アイテムは地図と年表で、この両方をポケットに入れて歩いていると、廃線とは、地理と歴史が交わる場所であることに気づく。
天災、戦争、線路の付け替え、モータリゼーションの普及、そして過疎。さまざまな理由で鉄道は消えていった。だが昔の路盤を歩いていると、いま自分が踏んでいる土の上を、かつて多くの人々の人生を乗せて列車が走っていたことを実感するのである。
土地は歴史を記憶する-過去に戦地だったところを含む”現地”で取材を重ねてきた経験から、私はそう思っている。そこへ行き、自分の足で地面を踏みしめることで、過去への回路が開かれるのだ。

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