「私の1960年代」 山本義隆

本の話

本書は「10・8 山﨑博昭プロジェクト」の活動の一環で行われた講演に加筆したもの。「10・8 山﨑博昭プロジェクト」とは、1967年10月8日の羽田闘争において、弁天橋での機動隊との衝突で亡くなった京大生山﨑博昭さんの意志を忘れないためのプロジェクト。佐々木幹郎さんの本を読んでいて、佐々木さんと山﨑さんが高校の同級生ということを知った。本書も佐々木さんのtwitterで知った。今回、改めて山本義隆さんの経歴を見たら大手前高校卒業とあり、そのつながりかと思った。

管理人が弁天橋を訪れたとき、何か記念碑があるのかと思い探したが何もなかった。橋周辺にはのんびりと釣りをするひとがいた。「第一次羽田闘争」といっても、管理人は写真や映像でしか記憶にない。プロジェクトでは2017年にモニュメントを建立する予定だそうだ。

本書は、60年代の回想と日本の科学技術史が半々の内容。たぶん科学技術史のほうを大幅に加筆したのだと思う。管理人が興味があったのは60年代の回想のほうだったので、ちょっと肩すかしの感じがした。著者が闘争に参加して、並行してどうやって素粒子理論を学んだのか以前から気になっていた。というのは管理人もいちおう専攻が素粒子理論で、物理や数学の勉強していると時間が足りないことが多かったため。本書を読むと、著者は講義に出ず自分で物理や数学を学んで大学院まで進んだようでさすがに違うなあと感心した。本書にはスミルノフの高等数学教程やランダウの理論物理学教程がでてきて懐かしかった。

「23.その後のこと」には廣松渉さんとの交流が書かれている。「タテカンを作るときには釘は少し曲がっているものを使ったほうが抜けにくく、したがって看板が壊れにくい」と著者に教えてくれたのが廣松さんだったそうだ。廣松さんはまた、「あなたは立場上、今後いつまでも注目され、いろんな人からいろんなことを言われ、大変でしょうけれども、ひとつだけお願いしたいのは、評論家のようなものにはならないでください」と著者に言ったそうだ。廣松さんは自伝的な著作を残さず、沈黙を守ったまま亡くなられた。

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