「虚構のナチズム」池田浩士

本の話

あとがきによれば、本書はナチズムにたいしては何が無力かということを、明らかにしなければならないという課題設定によって書かれている。ヒトラーが合法的にドイツの首相に就任したのは、ヴァイマール憲法のもとでのことで、その憲法を廃止することなしに「全権委任法」を制定し、12年間の「第三帝国」が始まった。ナチ党は国政選挙で一度も過半数の得票率を獲得したことがなく、最高でも43.9%だった。このことは、「平和憲法」と呼ばれるものを持ちながら、そのたった一条さえも変更しないまま、制定された仮りそめの法律によって、戦争国家の時代へ突入してしまった日本の現実と全く無縁ではないと著者は述べている。

 問題はそこから始まる。ナチズムをも含むファシズムは、阻止されるべくして阻止されなかったのだ。これにはもちろん多くの理由と原因があるだろう。だが、それのうちの少なからぬものは、たとえば経済的根拠や物理的な諸要因と客観的・具体的に関連していたのではない。ナチズムの運動が現実の力を持ちえたのは、それが人びとの夢や希望を、いわば土壌として生きたからである。それゆえにまた、ナチズムそのものが、ナチズムにもとづく政治・社会体制そのものが、大きな虚構でしかなかったのである。ナチズムにたいするボイコットや反対は、この虚構を撃つことができなかった。虚構は、現実以上に現実的な力を持っていた。そのデマゴギーを論理的に批判し避難することで、ナチズムの虚構を撃つことはできない。ナチズムをも含むファシズムにたいしては、その虚構を撃つことなしに、既成のどのような個別科学の武器をもって立ち向かっても、決定的な打撃を与えることはできないだろう。ナチズムとは別のイデオロギーを対置することが、別種のファシズムを生むことにしかつながらないのは、すでに歴史から明らかだろう。

本書では、「第三帝国」を支えた表現者を取り上げている。管理人が知っていたのは、レーニ・リーフェンシュタールくらいだった。第三帝国が最初にTV放送を開始したことやゲッベルスが書いた小説「ミヒャエル」についても本書で初めて知った。第三部で紹介されている「ティングシュビール」という演劇は全く知らないものだった。「ティングシュビール」はもともと突撃隊の運動のなかで発生した素人の寸劇だった。一人の先導者がシュプレヒコールを叫ぶと他のメンバーがそれと同じ文句を繰り返すデモ行進を寸劇に応用した。この寸劇では、途中、観客もシュプレヒコールの唱和に加わり、演じる側と観客側の区別がなくなり、すべての人が演者になる。

 二十世紀の前衛的な芸術・文化表現のもっとも基本的な表現原理である抽象およびモンタージュという方法そのものが、受け手を単なる観賞者にとどまらせておくのではなく、作品の前で立ち止まらせ、みずから作品をさらに形成させる、という理念に裏打ちされていたのである。-ティングシュビールは、二十世紀の前衛文化の歴史的脈絡のなかで見るなら、そのような理念と試みのひとつの到達点だった。しかも、それまでの試みと理念とが実現すべき最大の目標として掲げながらついに実現しえなかった究極の目標をひとまず達成したという意味で、それは到達点というにふさわしいものだったのである。その目標とは、すなわち、受け手から送り手への受容者の自己変革が、個人としての変貌にとどまらず、同時にまたこうして生まれた表現主体相互の、いまや受け手から主体的な自己表現となった民衆相互の、ひとつの新しい共同体の創出へとつながる、という目標にほかならない。

最初のティングシュビールの劇場が完成してから3ヶ月後「ティング」という名称が許可制になり、どのような作品がティングシュビールとして認められるかが国家の権限の下に置かれた。1934年6月30日未明、ミュンヘン郊外で合宿中だった突撃隊の幹部が急襲され、幹部たちは処刑された。その後、ヒトラーが敵視していた政治家、軍人なども殺害される。「長いナイフの夜」と呼ばれる粛清だった。突撃隊員の中には、民族民衆自身が真の国家社会の主人公となる「第二革命」を唱えるものが多かった。「第二革命」はヒトラーやゲッベルスにとっては、容認しがたい思想だった。「長いナイフの夜」の二ヶ月後、ナチ党第六回全国党大会でヒトラーは「以後千年間、ドイツにはもはや革命は起こらない」と述べて、「国民革命」の終結宣言をする。この後、ティングシュビール形式の演劇は上演されることがなかった。

 ちょうどそれと同じころ、過去の歴史に遡及する歴史小説や歴史劇が、第三帝国で、そして反ナチ陣形の亡命作家たちのあいだで、表現の主流となりつつあった。それらの多くは、みずからのナチズムの現在を問うことはなく、みずからのスターリニズムの現在を問うことはなかった。第三帝国にあっても反ナチ陣営にあっても、それらの作品は、歴史的過去によってみずからの現在を問いなおすのではなく、歴史によってみずからの現在を正当化するものでしかなかったのである。そこには、「第二革命」を希求する民族民衆も、「永続革命」を目指す人民も、もはやいなかった。

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