「街場の憂国論」 内田樹

本の話

本書は2011年から13年にかけて、ブログ等に発表した、国家や政治に関するエッセイをまとめたもの。エディターによるエディットというのは、どの位関わるのか分からないが、著者が音源を提供してエディターがDJで放送すると本文にあった。

著者はここ10年、執筆の依頼があまりにも多いため、仕事を減らそうとして「他の人があまり言わないこと」を書いてきたが、逆に好評となり仕事が減らないどころか増えてしまったそうだ。著者が書き手として人気があるのは、日本の哲学研究者にあるような大上段に構えて良く分からないジャーゴンを羅列するのではなく、日常語でこちらが政府とかメディアに言って欲しいことを的確に表現しているためだと思う。本書を読んでいても、よくぞ書いてくれたというエッセイが多かった。

東日本大震災の原発事故対応、沖縄基地問題、TPP、憲法改正等々の問題にたいして、大新聞やTV局は政権にすり寄る姿勢を見せている。そのようなマスメディアは自身の危機感を持っていないように思われる。支配者が要求する生き方を合理的であるという人間は支配者が代わっても全く同じリアクションをすると著者は述べている。仮に日本共産党が政権を奪取したとしたら、あの新聞とかあの雑誌とかは手のひらを返したように日本共産党を持ち上げる記事を載せるのだろう。

本書全体に「危機感」が貫かれている。著者は1960年代から、「このままでは日本は滅びるかもしれない」と思っていた。幸いのことに日本は滅びなかったが、昨日まで上手くいったから、明日も上手くいくとは限らない。ひとりの村人が、堤防に小さな蟻の穴を見つけ、何気なく小石で穴を塞ぐ。その穴は放置しとくと大雨で堤防が決壊するような穴だった。穴が塞がれて、堤防は決壊せず村は無事だった。この村人の功績は誰にも知られることがない。このような顕彰されることがない英雄のことを「アンサング・ヒーロー」と呼ぶ。このような「アンサング・ヒーロー」によってかろうじて社会は成立している。著者が日本の未来に危機を感じるのは「アンサング・ヒーロー」が減ってきたことがわかるためと述べている。

 堤防の「蟻の穴」に誰も小石を詰めようとしない社会、それを「リスク社会」と呼ぶのだろうと思います。僕たちが直面しているのは、そういうタイプの危機です。
この危機をこれまでのように今回も僕たちはうまく切り抜けていけるのでしょうか。
僕にはよくわかりません。なにしろ前代未聞の事態ですから、「これで解決」というようなたしかなソリューションをご提示することがかないません。でも、手をこまねいて日本の崩壊をぼんやりみつめることも、浮き足立って「改革だ、グレートリセットだ」とわめき散らすこともしたくない。とりあえず、僕にできるのは、身近にいる人たちと連帯し、それぞれの現場で「蟻の穴」を塞ぐ彼らの日々の実践を支援することくらいです。
この本もそのような「小石」の一つのつもりで書きました。
とりあえず、みなさんと一緒に、手に小さな石を一つずつもって、手近の「蟻の穴」を塞ぐところから初めてゆこうと思います。

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