「溺れるものと救われるもの」 プリーモ・レーヴィ

本の話

本書は著者が自死する1年前に刊行されたもの。解放からほぼ40年経った後に、著者が改めてアウシュビッツの経験について問い直した。それは記憶の風化への恐れと、若い世代の無理解と誤解への焦燥感からだった。自分が経験したことを他者に伝えることができるのかという問いはいつまでも残っていた。

「アウシュヴィッツは終わらない」の付録でも、若い世代は「なぜ逃げ出さなかったのか」「なぜ反乱しなかったのか」「なぜ亡命しなかったのか」と同じ質問を繰り返していた。レーヴィは本書においてもその質問に対する回答を述べている。しかしながら、どんなにレーヴィが丁寧に答えても若い世代に理解されることが少なかった。アウシュビッツの経験が悲惨過ぎて、若い世代にとってリアリティが感じられないようだった。

 それは「あの場で」事物どうであったかということと、今日の想像力でそれがどうとらえられるか、ということの間の亀裂である。それは不正確な内容の本、映画、神話によってますます大きくなっている。それが単純化とステレオタイプの方向にずれていくのは避け難いことだ。私はここでこの横滑りに防壁を設けたいと思う。同時に私はそれが、近い過去や歴史的悲劇の認識だけに限られた現象でないことを指摘しておきたい。それはもっと一般的なもので、私たちが他人の経験を認識する時の困難性、あるいは不可能性の一部をなしている。それは私たちから、時代、場所性質が離れれば離れるほど、より顕著に現れてくるものなのである。私たちはアウシュビッツの飢えが、一食を抜いた飢えに近いものだと思い、トレブリンカから脱走することを、レジーナ・チェーリ刑務所を脱走することになぞらえてしまう傾向がある。検討されている事件から、時がたてばたつほど大きくなってしまうこの亀裂を乗り越えるのは、歴史家の仕事である。

本書の最後は、「アウシュヴィッツは終わらない」のドイツ語訳が出版された後に、送られてきた手紙を紹介している。ドイツ語訳に関して著者は非常に神経質な配慮したようだ。著者はドイツ語訳の序文を書くのを断り、その代わりにドイツ人の手紙に対する返信を掲載した。「ドイツ人からの手紙」の章を読むと著者の苛立ちが顕著にみられる。レーヴィの鬱病は深刻化し、批判していたアメリーと同様に自死することになる。

 私たちには、若者と話すことがますます困難になっている。私たちはそれを義務であると同時に、危険としてもとらえている。時代錯誤と見られる危険、話を聞いてもらえない危険である。私たちは耳を傾けてもらわなければならない。個人的な経験の枠を越えて、私たちは総体として、ある根本的で、予期できなかった出来事の証人なのである。まさに予期できなかったから、だれも予見できなかったから、根本的なのである。それはいかなる予見にも反して起こった。それはヨーロッパで起こった。信じ難いことに、ワイマル共和国の活発な文化的繁栄を経験したばかりの文化的な国民全体が、今日では笑いを誘うような道化師に盲従したのである。だがアドルフ・ヒトラーは破局に至るまで、服従と喝采を得ていた。これは一度起きた出来事であるから、また起こる可能性がある。これが私たちが言いたいことの核心である。

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