「きまぐれ歴史散歩」 池内紀

本の話

本書は題名に歴史散歩とあるが、歴史の現場を旅する紀行エッセイ。著者は旅行へ行くとき、縦長の手帳に旅日記をつけているそうだ。手帳は横罫のメモ用、全52ページ、PILOT社製。その手帳が二十数冊たまったところに本書ができた。

本書で普通の観光客はちょっと行かないだろうなと思った章は、「大本弾圧」、「伊勢湾台風」、「『永仁の壺』事件」。管理人は『永仁の壺』事件を知らなかった。骨董品を愛でる趣味がないというか買う余裕がないというか骨董には全く縁が無い。「大本弾圧」の綾部にはグンゼの旧本社があったそうだ。「皇道大本」と「郡是」という不思議な巡り合わせ。

「板東俘虜収容所」は町民とドイツ人俘虜との交流が美しい。この交流は収容所長の松江豊寿が寄与するところが大きいという。松江の父は元会津藩士で、その父を通して「敗者」の立場と悲憤をよく知っており、俘虜であれ尊ぶ人間性に変わりがない。帰還したドイツ人は松江を「本当のカヴァリエ(騎士)」だと述べたそうだ。

本書には会津若松を訪れる章がある。占領直後「官軍」は「分捕り」と称する略奪のかぎりを尽くした。秩父困民党の軍律には「私ニ金円ヲ掠奪スル者は斬」「私ノ遺恨ヲ以テ放火其他乱暴ヲ為シタル者ハ斬」とある。「神風特別特攻隊」の戦死を、軍部は「散華」と言った。散華-花と散る-散らん-知覧でもあって、地名がそのまま運命の糸と結ばれていたのは歴史のいたずらか。

 たいていは列車で出かけて、バスを乗り継ぐ。当今のJR支線やバス便は、一時間に一本あれば上出来で、二時間、三時間待つのも珍しくない。腹立たしいことだろうか?とんでもない。むしろ「しめた!」と考えて、駅前なりバス停近くを散歩する。無人駅で何もなさなそうな町でも、その地方特有の古いつくりの民家とか、昔なつかしい看板とか、きっと何か見つかるものだ。石段があって神社らしいと思えば、必ずのぼってみる。古い社に絵馬堂がそなわっていて、ハゲハゲの絵馬が掲げられてある。すでにして歴史散歩の中にいるわけで、何げなく見かけたものが、あとで知った人物なり事件なりにかかわってくることが少なくない。以前なら、さっそく旅日記を取り出してメモしたものだが、現在はデジタルカメラというお伴がいて、説明板の一字一句まで、すぐさま記録に取ってくれる。

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