「死霊 2」 埴谷雄高

本の話

講談社文芸文庫版「死霊2」には4章「霧のなかで」、5章「夢魔の世界」、6章「愁いの王」が収められている。「霧のなかで」は、霧の中津田康造と首猛夫との会話から始まる。隅田川近くと思われる場所が舞台となる。三輪与志は兄高志の亡き恋人の妹に会いに行く。「夢魔の世界」では、三輪与志が自宅に戻り、兄高志の告白を聞く。それは組織での同志殺しとその後に現れた夢魔についての話だった。「愁いの王」では”黙狂”の矢場が居なくなったことを岸博士が知らせに来て、与志は岸博士と一緒に××橋に向かう。黒川建吉と”神様”はボートに乗り、動けなくなった渡り鳥を救う。そこに首猛夫が現れボートに同乗する。程なく津田夫人と安寿子にも出会いボートへ乗る。5人の乗ったボートは途中で転覆する。××橋近くにある印刷工場で5人は三輪与志と岸博士に出会う。

6章でやっと2日目の昼までで、小説の展開は遅々として進まない。それに対して間にある寓話や「存在」についての議論が拡がっていく。同志殺しのところは、共産党査問事件や連合赤軍事件を参考にしているようだ。「存在」の議論は、カント「純粋理性批判」を小説で超越できるかを意図しているらしいので管理人にはいまだよくわからない。わからないけれども読んで面白い。といっても大いなる勘違いをしているのかもしれないが。埴谷さんのエッセイを読んでいると「死霊」を完結させようという気はすでに無かったのではないかと思う。話として終わらせることができるけれども、「存在の革命」はいまだ至らずということだったように思う。これもまた勝手な妄想だけれども。

 うちたてたヴィジョンどおりの革命を完成できるのは、いいか、勿論、その自分だけに限られているのだ。革命とは意識的に創造された生、にほかならず、彼がうちたてた革命の内容は、まさに、「彼自身のみ」によって成就されねばならない。いいか。未来を含めた他の何ものにも頼ってはならないのが革命だ。ふむ、ところで、革命家とは何ものだろう。それは、額の上になにも特別な徴しをもったものではない。この世のなかで、この存在の変幻のなかで、ただただ覚めた自意識をひとたびもったものは、いいか、すべて、ひとりのこらず、革命家となってしまうのだ。

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