「写真論」 スーザン・ソンタグ

本の話

スーザン・ソンタグの「写真論」を再読した。確かに読んだ記憶はあるのだが、内容はよく覚えていなかった。同じく再読したロラン・バルト「明るい部屋」のほうがまだ記憶に残っていた。スーザン・ソンタグの文章は決して読みやすいものではなく、しかも写真図版が全くないため余計にわかりにくい。いまならネットで調べると画像は見つかるけれども。最初に読んだ時には、管理人の知らない写真家の場合、どのような写真について言及しているのかさっぱりわからなかった。

本書を読んでかろうじてわかったような気がするのはダイアン・アーバスについての文章だった。アーバスはニューヨークの裕福な家庭に生まれ、18歳のときアラン・アーバスと結婚した。「子供のころの悩みのひとつは、わたしが一度も逆境というものを味わったことがないということでした」。夫とともに「ヴォーグ」等のファッション誌で活躍した。その後、コマーシャル的な仕事をやめて、「変わったひと」を撮影する。「通りでだれか見かけるとします。その際眼につくのは本質的には欠点なのです」。

カメラによって武装したアーバスの感受性がどんな被写体にも苦悩や精神の病いなどをほのめかすことができることをその作品で示している。アーバスの写真の説得力は異形の被写体とありのままを注視するアーバスの態度との間の対照からきている。異形のひとを撮ることは「わたしにはぞくぞくするような興奮でした。わたしはただもう、うっとりしていました」。1971年ダイアン・アーバスは自殺する。彼女の作品は誠実なものであり、決して覗き趣味ではなかった。彼女の作品はまた、彼女にとって危険なものであった。ある限界を越えたところで、彼女は自分の誠実さと好奇心の損傷という精神的待ち伏せに会ったのである。

 こうして結局、アーバスの写真で一番心を乱されるのはその被写体ではさらさらなく、その写真家の意識が累積していく印象、つまり提示されているものはまさに個人的な視像、なにか任意のものという感覚なのである。アーバスは自己の内面を探求して彼女自身の苦痛を語る詩人ではなく、大胆に世界に乗り出して痛ましい映像を「収集する」写真家だった。そしてただ感じたというより調査した苦痛については、およそはっきりとした説明などないものだ。ライヒによれば、マゾヒストの苦痛の趣味は苦痛を愛することからくるのではなく、苦痛によって強烈な感覚を手に入れたいという期待からくるという。情緒とか感覚の不感症を患った人たちは、ただなにも感じないよりは苦痛でも感じた方がいいのである。しかし人びとがなぜ苦痛を求めるかについては、ライヒとは正反対のもうひとつの説明があって、それもぴったりくるように思える。つまり彼らはもっと感じるためではなく、もっと感じないために苦痛を求めるというのである。

引用の小冊子から引用。

 アジェは、[パリのさびれた街を]犯罪現場のように写したという評判であるが、あたっている。犯罪現場にも人通りはないし、それを写真にするのは証拠とするためである。アジェによって、写真は歴史的な出来事の標準的な証拠物件となり、また隠れた政治的な意義をもつにいたるのである。
-ヴァルター・ベンヤミン

 言葉で語り尽くすことができるなら、重いカメラを持って歩く必要はないわけです。
-ルイス・ハイン

新着記事

TOP