「忘れられた日本人」 宮本常一

本の話

宮本常一の著作を読むのは本書が初めて。余りにも有名な著作なので、書評が沢山あり、記事にするのは「何を今さら」感が強い。それでも面白かった本は何か書きたくなるもので、記事はあくまでも「個人の感想です」。

本書を読んでいて、宮本常一はよく歩くひとだと思った。交通機関が発達しておらず、車が一般的でなかった時代に、離島や山間部の集落を訪れるには歩くしかなかった。それも宿泊施設も整備されていないので、集落の民家などに泊まるには、自分の食い扶持の米を背負って行かなければならなかった。本書に登場する人物で、一日20里歩くと紹介されていたが、今では信じられない距離である。漱石や鴎外などの小説の主人公も無闇矢鱈に歩くので、昔は歩くことがそんなに苦にならなかったようだ。

宮本常一が歩いて採集した民衆の語りはどれも面白い。「私の履歴書」のような功なり遂げたお偉いさんの自慢話とは違い、文字も読めないひとの自分語りは失敗や後悔が多いが偽りのない自分の生き方を語っているものだ。「土佐源氏」の盲目の老人は、夫婦ともに地域のひとに助けられて生きている。老人は盲目になったのも、現在の乞食のような生活に至ったのも全て自分の行いの所為だと話す。

「世間師」とは「日本の村々をあるいて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験をもった者が多い。 村人たちはあれは世間師だといっている」。「世間師」で語られる人生は、小説じゃないのかと思われるほど波瀾万丈な人生だ。ひとにはそれぞれの人生があり、色々の物語があるはずだが、それらがすべて読んで面白く読めるかどうかはわからない。「世間師」の語りが抜群に面白いのは宮本常一の素晴らしい仕事のおかげだと思う。

 それにしてもこの人の一生を見ていると、たしかに時代に対する敏感なものを持っていたし、世の動きに対応て生きようとした努力も大きかった。と同時にこのような時代対応や努力はこの人ばかりでなく、村人にもまた見られた。それにもかかわらず、その努力の大半が大した効果もあげず埋没して行くのである。
明治から大正、昭和の前半にいたる間、どの村にもこのような 世間師が少からずいた。それが、村をあたらしくしていくためのささやかな方向づけをしたことはみのがせない。いずれも自ら進んでそういう役を買って出る。政府や学校が指導したものではなかった。
しかしこうした人びとの存在によって村がおくればせながらもようやく世の動きについて行けたとも言える。そういうことからすれば過去の村々におけるこうした世間師の姿はもうすこし堀りおこされてもよいように思う。

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