「東京抒情」 川本三郎

本の話

本書は著者が東京について書いた比較的短い文章がまとめてられている。著者によると「歩く東京」・「思い出の東京」・「描かれた東京」が三位一体になって東京があるという。永井荷風がしばしば登場するのは、『荷風!』という雑誌に掲載された文章が多いため。管理人は雑誌『荷風!』を知らなかったが、雑誌は廃刊されたようだ。

「歩く東京」といっても、交通網が発達している東京の散歩は、地方とはちょっと感覚が違うと思う。東京では疲れたら近くの駅から電車に乗ったり、休憩できるお店がある。本書の街歩きは、スターバックスやコンビニもなく、次の列車まで3時間や4時間も間隔があいているというような場所を歩くのではない。あくまで「東京人」による「歩く東京」である。残堀川歩きの文章では、「さすがに六十歳を過ぎた人間が一日、川に沿って約15キロを歩き切るのは無理」とあり、著者はほんとうに歩くことが好きなんだろうかと疑問に思った。

「思い出の東京」や「描かれた東京」についても、内容の重複があり、言葉は悪いが「ネタ切れ」という感じがした。永井荷風の小説と「断腸亭日乗」からの引用と小津安二郎監督作品からの描写というのがパターン化して、内容の差異に乏しい。『荷風と東京』や『林芙美子の昭和』がすごく面白い「東京」論だったので、本書にはちょっとがっかりした。本書は『荷風と東京』や『林芙美子の昭和』を読んでいないひとにはよいのかもしれない。

 「ノスタルジー都市」とは私の造語で、東京のようにつねに風景が激変している都市では、ついこのあいだの都市風景が懐かしい。千年以上もの歴史を持ち、いまも随所に古い町並みを残している奈良や京都とは違う。古都では歴史が語られるが、東京ではついこのあいだの記憶が大事になる。「思い出の東京」である。
 個人的なことを言えば、古希を超えた人間には、昭和ニ、三十年代の東京は、まだ歴史にはなっていないが、思い出のなかにある。時にはもう風景がなくなっているので、幻想の東京のようにも思える。それを大事にしたい。
 ノスタルジーとは、実際にあった過去を懐かしむことだけではなく、あるべき過去の姿を愛しむことでもある。当然、そこには大事なものを失った痛みがある。ノスタルジーとは、言わば、愛しさと痛みの感情だと言えよう。

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