「死霊 3」 埴谷雄高

本の話

「死霊3」には第7章、第8章、第9章が収められている。第7章が発表されたのが著者74歳の時。2年後に第8章されたときには一気に「死霊」が完結するのではないかと思った。だが、その後の章が発表されることはしばらくなく、第9章の発表が9年後著者85歳の時。そして2年後に著者は亡くなり、「死霊」は未完となった。

第7章は文庫版で230頁あり、他の章に比べて長い。第7章では「黙狂」の矢場徹吾が語り始める。「最後の審判」が「死霊」後半の山場で、管理人にとって難しい内容だった。食物連鎖から逃れられず自己分裂する単細胞の出現いらい「存在の苦悩」と「生の悲哀」の変転につぐ変転。第8章では「暗い人」と「笑う人」の話が語られ、第9章では津田安寿子の誕生祝いの宴が津田家で開かれる。この宴に、黒服と青服が再び登場する。「死霊」に登場する人物がすべて死んだ人間=死霊か、誰かの夢の記録と思わせる。

結局、「死霊」は未完のままで終わった。晩年の著者のドキュメンタリー番組では、ハンガリーの貴腐ワイン「トカイ」を飲みながら「死霊」の断片をメモする著者が映し出だされていた。それはいつ終わるとも予想できない「死霊」に対する著者の情熱・執念が感じられる映像だった。著者のエッセイを読んで管理人も「トカイ」を飲んでみたが、とても甘いワインで、豊多摩刑務所の独房で砂糖を舐めながら「純粋理性批判」の原書を読んでいた著者ならではと思った。小説による「宇宙論」というか「存在革命論」は「精神のリレー」の継承者に託された形になった。そのリレーを継ぐものが誰かはわからないが。

 時間と空間にそのはしのはしまで皆目縛られない宇宙、それは嘗てあり得なかったところの<<非の宇宙>>と名づけられ、いってみれば、それは「満たされざる魂」を「無限大の自由」へ向って変容せしめようとしつづける嘗てなく、また将来もないだろうところの不可思議超絶な試み、即ち一冊の架空の上の架空の、仮象のなかの仮象の書物のなかだけにしかまず表示し得ざるところの全宇宙史を通じてまったくはじめての「全的魂連鎖」の霊妙精密な無限連鎖の不可測不可思議な響きを響かせるいわば生を超えた生の徴標を全的に携えた詩的な超精霊つまり「自在者」が浮遊する太初の自在宇宙のはじまりにほかならぬ。

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