「死霊 1」 埴谷雄高

本の話

高校生の頃、黒い装丁に惹かれ購入したのが「定本 死霊」だった。「定本 死霊」は5章までが収められ、その後の章は「群像」に掲載される度に購入して読んだ。月刊の文芸誌を買うことはもうないと思うが。今回読み直したのは文庫の3巻本で、「死霊1」には9章のうち3章までが収められている。全3巻読み終わるのにどの位かかるかわからないので1巻読み終わる毎にブログへメモを書き残すことにした。。管理人にとって「死霊」は難攻不落の超難解小説なので。難解な漢字も忘れているものが多いので、漢和辞典を傍らにいつも置いて読んでいる。

悪意と深淵の間に彷徨いつつ
宇宙のごとく
私語する死霊達

「死霊1」では5日間の物語のうち、1日目の夕方までが描かれている。主人公であるはずの三輪与志はあまり話さず、首猛夫の饒舌が目立つ。「あっは」、「ぷふい」という間投詞がドイツ語だったというのは後から知った。三輪与志が求めるものは虚体であり、それは自同律の不快から導かれる。自同律とは「A = A」あるい「俺は俺である」ということ。「吾は吾なり」と明確に叫び得る表白は何に立脚しているのか。三輪与志はそこを疑い、不快に思う。小説のなかで説明しているのは友人の黒川建吉である。登場人物は、著者埴谷雄高のある側面の分身という設定なので誰が話しをしてもよいといえばよいのだけれども。

 もし人間をその内部に含んでいた存在が、或るとき、或る究極の、時間の涯のような瞬間、恐ろしい自己反省をして、そこに嘗て見慣れた存在以外のものを認めたとしたら、永遠に理解しがたいようなものがそこに残っていたとしたら、ぱっくり口をあけた虚空の空気が通うほどの巨大な傷がそこに開いているとしたら、そのものは人間からつけ加えられたものだ。それは時期知れぬ、何時の間にかつけ加えられた。それは、それまで見たことも予想したこともなかった、まるで奇妙な、存在が不動の存在である限り決して理解しがたいものの筈です。おお、それこそ・・・その名状しがたいものこそ、虚体です!三輪の問題とは、人間はついに人間を超え得るか、否か、だ。人間が巨大な虚体を、目も無く耳もないような忌まわしいその相手へ決然と与え得るか、否かだ。

この後には、党の査問事件が明らかになり、ますます難解になっていく。北杜夫さんによると「死霊」は童話だそうだ。

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