「黙示録」 岡田温司

本の話

本書は「ヨハネの黙示録」が人類のイメージに与えてきた影響を古代から現代まで辿ったもの。日本人にはあまり馴染みがない思われる「ヨハネの黙示録」も絵画や映画等で様々に描かれ、知らず知らずのうちにイメージを共有することになっていった。本書では、カルト教団に見られるような神秘主義やオカルト、スピリチュアル、ニューエイジ的な黙示録の読み込みは扱っていない。

最初の章は「ヨハネの黙示録」に纏わる数字の神秘を取り上げている。7という数字が「ヨハネの黙示録」の中ではあらゆるところに埋め込まれその神秘性を高めている。また12という数字は、12使徒や神の刻印を押された「救われたものたち」14万4千人(12x12x1000)であったり、黙示録の「新しいエルサレム」が12という数に基づいて設計されている。映画「オーメン」で不吉な数字として描かれている666は、黙示録ではアンチキリスト或いは似せ預言者の化身として額に666が刻印された生き物として登場する。7という神聖な数より劣る6は人間を指している。人間は神より劣る存在ということらしい。素数列に関する神秘的な話も黙示録に近いものがある。

中世の宗教画などはさっぱりわからない管理人には本書で分かりやすかったのはSF映画を多く扱った第6章だった。とくにスタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」についての論及は面白かった。あの映画が「ヨハネの黙示録」自体を風刺しているということは気づかなかった。この映画で黙示録的な不安に煽られているのは男達で、抑圧された不安を極上のユーモアへと転倒させることで、黙示録の発想を風刺してみせる。政治と社会は終末論的な筋書きに余りにも振り回されすぎている。

 さまざまなメディアのなかに跋扈する終末のイメージにおいて、想像と現実、リアルなものとヴァーチャルなものとの境界は揺らぎ、相互に浸透しあう。しばしば想像が現実に先行し、現実にフィードバックする。ワールド・トレード・センターに飛行機が激突する映像を見て、「全宇宙で想像しうるもっとも偉大な芸術作品」と呼んで顰蹙をかったのは、高名な作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンだったが、それはごく正直な印象だったのかもしれない。ある哲学者はまた、「それを実行したのは彼らだが、望んだのは私たちのほうなのだ」(ジャン・ポードリヤール)と喝破した。西洋-近代の日本も含めて-はこれまでにくりかえし、黙示録的な映像のなかで、「自殺へ向かう世界」(ポール・ヴィリリオ)を好んで描き出してきたのだ。リスクへの不安が、リスクそのものを呼び込んでしまう事態すら起こる。

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