愛するものが死んだ時にはー東日本大震災から1年

日誌
2012年3月11日

震災一年後の3月11日ということで、いろいろな行事やTVでは関連番組があった。管理人は風邪をひいて体調不良のため一日中自宅にいた。震災関連の映像を見続ける気がなく、「中原中也詩集」をぱらぱら読み返していた。文庫版「宮沢賢治全集第一巻」が見当たらなく、「中原中也詩集」を読んだ次第。昨年の3月11日は、会社があった新横浜から徒歩で自宅へ帰った。自宅についても停電だったため、津波の被害を知ったのは午後11時頃だった。

“春日狂想”

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持ちに、なることなんです。
奉仕の気持ちに、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持ちに、ならなけあならない。
奉仕の気持ちに、ならなけあならない。

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けているものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に-
テムポ正しく、握手をしませう。

“汚れつちまつた悲しみに・・・”

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとえば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる・・・・

(岩波文庫「中原中也詩集」より)

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