バナナと日本人

本の話

本書を読もうと思ってから30年近く経ってようやく読了。最初に買った本はどこかへいってしまい、結局新たに購入した。スーパー等で売られているフィリピンバナナに本書で書かれているような背景があることは思いも寄らなかった。本書を読んでからドールやデルモンテの米国企業のバナナは何か購入するのが躊躇われる。どんなにバナナが売れても、携わっている地元の人びとには利益が回ってこない仕組みは、今も変わっていないのだろうか。

外国企業と政府が結託することで、自国民に不利益をもたらし、土地も荒廃していく。現状のフィリピンのバナナ農園について、管理人はよくわからない。フィリピンの人たちはあまりバナナを食べないそうだ。自分たちが食べないバナナを輸出のためだけに作っている。バナナは安くて栄養価が高い食べ物との印象は、ただの売る側の印象操作なのかもかもしれない。フィリピンバナナの安さはフィリピン人農家たちの犠牲の上に成り立っていたことを覚えておこう。

 ダバオの生産の現場では、二つのことが起っている。その一つは、いうまでもなく、農家、労働者が搾取され、貧しくなっていることだ。もう一つは、クリスチャン・フィリピノ、モロ族、バゴボ族など、どのような集団であれ、その自立的・能動的な主体としての成長が、麻農園からバナナ農園へという外国企業の進出によってぼろぼろに傷つけられていることだ。かれらの自己主張は、さまざまな暴力装置によって、封じ込められている。
かれらの主体性回復、解放は、つきつめていえば、かれら当事者のみが果たせる問題だろう。しかし、当事者と書いたが、バナナについては、それを受け入れ食べている私たち日本人も、そのかぎりにおいて当事者である。
だとすれば、つましく生きようとする日本の市民が、食物を作っている人びとの苦しみに対して多少とも思いをはせるのが、消費者としてのまっとうなあり方ではあるまいか。
私たちは豊かでかれらは貧しく、だから豊かな私たちがかれらに思いを及ぼすべきだというのではない。作るものと使うものが、たがいに相手への理解を視野に入れて、自分の立場を構築しないと、貧しさと豊かさの違いは、-言いかえれば、かれらの孤立と私たちの自己満足の距離は、この断絶を利用している経済の仕組みを温存させるだけに終わるだろう。

著者 : 鶴見良行
出版社 : 岩波書店
発売日 : 1982/08/20
新書 : 238頁(岩波新書)
定価 : 本体820円+税

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