岡村昭彦と死の思想

本の話

『ホスピス病棟の夏』の参考文献に本書があり、報道写真家とホスピスがどのような関係があるのか興味があり本書を購入した。管理人は岡村昭彦と言えば『南ベトナム従軍記』に代表される報道写真家の姿しか思い浮かばない。本書では、写真家としての岡村昭彦に言及することは少なく、もっぱら岡村昭彦の晩年に力を入れていた「生命倫理思想」と「ホスピス」に重点が置かれている。

岡村昭彦は東京医学専門学校を中退した後、札幌の高校に転校した弟を頼って北海道に渡っている。日本共産党の「山村工作隊」の一員として活動していたらしい。弟を通じて「阿寒に果つ」の主人公加清純子と知り合う。岡村昭彦は釧路でニセ医者として開業して、医師法違反等で逮捕され服役する。1952年1月に加清純子が失踪し阿寒で自殺したとき、岡村は獄中にいた。同年4月加清純子の死体が阿寒湖畔で発見される。葬儀が終わり棺が荼毘に付される直前に、岡村がやった駆けつける。「逢って詫びない限り僕は生きられない」と岡村は加清純子の兄に言ったそうだ。このことは本書の「伝記の空白」で初めて知った。高校生の頃、同級生に渡辺淳一の熱烈なファンがいて、しきりに「阿寒に果つ」を読めと勧められたが結局読まなかった記憶がある。

報道写真家がなぜ「生命倫理思想」や「ホスピス」に関心を持ったのかは、岡村昭彦の学歴やニセ医者経験からある程度は推測できる。しかしながら、医学の知識と言うよりも岡村がジャーナリストとして世界を駆け巡り、独自の歴史観からたどり着いたのが生命倫理思想だったようだ。「同情は連帯を拒否したときに生まれる」という岡村の言葉が思い出される。写真はシャッターを切る前の写真家の思想で決まるということも『南ベトナム従軍記』で書いていたような気がする。報道写真家として活動することも、生命倫理思想について活動することも岡村昭彦にとって断絶したものではなく、同じ思想の基づく活動だった。岡村の晩年の活動があまり語られないのは、具体的な成果があまりなかったせいかもしれない。また生命倫理思想に関わりながら、安楽死や尊厳死についてはあまり関心が無かったのも今では評価されにくいのかもしれない。岡村の最後の著作『ホスピスへの遠い道』は未完に終わっている。

 岡村にとって、ホスピスは、そこで医師、看護婦、患者が平等になりうる稀有な場だった。治療が不可能なときに、医師は自らに何が可能であるのかを自問せざるをえない。看護婦は、医師の指示に従う者ではなく、独自の看護を開拓せざるをえない存在となる。医療や看護とは何かという問題が、現場のなかで突きつけられる。医療や看護から技術が奪われるとき、最後に残るのは「魂」だけである。岡村はその「魂」の源を求めて、このルポルタージュ『ホスピスへの遠い道』を書いた。歴史を遡及して求めたその「魂」を未来に投影したのが「ユートピア」に他ならない。それは、実現すべき定まった目標ではなく、「魂」の探求と絶えざる運動のなかでつねに更新されていく未来図である。「ホスピスへの遠い道」というタイトルは、「逃げ水」のように追っても追っても遠ざかっていくユートピアを表現しているように見える。

著者 : 高草木光一
出版社 : 岩波書店
発売日:2016/1/16
単行本: 262頁
定価:本体2700円+税

新着記事

TOP