「私の浅草」 沢村貞子

本書は『暮しの手帖』に連載されたものにいくつか書き足した文章を纏めたエッセイ集。著者の生まれ故郷浅草の思い出を綴った文章は懐かしい暮らしの風情を生き生きと描いている。著者が記憶している浅草は今そこに在るような感じのするものだ。子供の頃の記憶がこれほど鮮明というのには驚かされた。本書も「おていちゃん」の原作となっているようだが、「貝のうた」に比べて本書のほうが連続テレビ小説にはふさわしいと思った。本書は第25回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。

著者の父親の女遊びは凄く、相手が水商売女とはいえ母親はたまったものではない。当時浮気は男の甲斐性として許されていたようだが、今ではちょっと想像がつかない。今とは違って役者の浮気なんてニュースにもならなかったのだろう。文春砲も不発になっていただろう。

著者が描く食べ物や女性の装いはよく憶えているなと感心する。とくに芸妓や花魁の描写は、管理人には想像もできないもので字面をなぞるだけ。今の「舞妓」や「芸者」とは違っていたとは思うけど、そんな遊びをやったことがないのでちょっとわからない。芝居役者の姿のよさや「華がある」というのもその世界にいる人にはわかることなのだろう。

本書には古き良き時代の浅草に関する様々な文章が収められている。管理人の知らない浅草が多く面白く読めた。本書を読むきっかけは、SNSで沢村貞子さんの本の記事を読んだことからだった。本との出会いは不思議なものとつくづく感じた。

 公園裏にこぎれ屋さんがあった。
 間口一間の低い軒先に、色とりどりの端切れがつるされていた。可愛い友禅ちりめんや、粋なお召の縞もの、紅絹、黒羽二重-五寸から、せいぜい二尺ぐらいまでの残り切れである。
 色町の人たちは、反物をつもらずに、そのまま仕立てに出すから、裁ったあとのあまりぎれは、仕立屋さんの、ほまち(役得)になる。こぎれやさんは、それを集めて売っていた。娘たちは、気に入った端切れをみつけては、こづかいをはたき、手提げ袋や財布を縫った。たまには、ぜいたくな前かけもこしらえたものだった。
 七夕さまの短冊のようにつるされた、きれいなこぎれのあいだから、やせたおかみさんの、じっと座った姿がみえる。どことなく粋な年増だけれど、ご亭主がばくちばかりしているとかで、いつも、ぼんやりと小さい手あぶりの灰をかきならしていた。こめかみに頭痛膏をはって・・・。

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