ペスト大流行

本の話

本書は「古書価格が1万円を超えるほど高騰中」で、緊急復刊が決定したという。管理人は本書を30数年前に読んでおり、本棚にあったので今回再読した。古書価格が一万円以上するのがわかっていたら古本屋に売っていたと思う。カミュの『ペスト』も売れているそうだ。まさかCOVID-19で「ペスト大流行」的状況になるとは思ってもいなかった。東京五輪2020は延期になり、いつになったらCOVID-19収束するのだろう。

1894年に香港でペストの流行が起こり、内務省は北里柴三郎を香港に派遣しペストの研究を命じた。北里柴三郎はほどなくペスト菌を発見したと日本へ打電し雑誌にも短報を掲載した。ところが同じ年パストゥール研究所のイェルサンが「ペスト菌発見」の報告を「パストゥール研究所報告」誌に発表した。この報告は北里柴三郎のとは違っていた。北里が単離したと思った細菌には2種類あった。北里の方法ではイェルサンの単離した菌は把捉されない。翌々年イェルサンの単離した菌がペストの病原体であることがわかる。北里が単離したと思った2種類の菌のなかの1種はペスト菌だった。19世紀末になってようやく人類はペストの病原体を把捉した。

ペストの大流行は何度か起こったが、14世紀中頃にヨーロッパを襲った大流行では3千万人以上が亡くなり、いくつもの町が消滅した。この流行の原発地は中国とする説と中央アジアとする説がある。1334年中国で悪疫によって500万人の命を奪われたという記録が残っている。中央アジアのセミリェチェンスク地方の、イシック・クル湖付近で、1338-39年の日付がある墓碑にその埋葬者がペストで死んだ旨が刻まれているのが発見された。中国が原発地の場合、時系列的に中央アジア経路と1337年にペストが流行したコンスタンティノープルやエーゲ海諸島経路とを別個に考えなければならない。しかしながら感染経路の決め手となる資料は存在していない。

1348年を出発点とするヨーロッパのペストの大流行についての記録は数多く残されている。病因論についても様々あった。ペスト菌という概念がない時代には占星術的病因論もあり、今から見るとちょっとあり得ないような説が多い。ペストの大流行のなかで、ユダヤ人虐殺も起こっている。病因論として「キリスト教の敵」が持ち上がり、ユダヤ人が対象になった。ユダヤ人が住んでいない地区では、ハンセン病患者やアラビア人が迫害の対象となった。ユダヤ人虐殺の最初の記録として、1348年9月ジュネーブに起こった例が残っている。この後、ユダヤ人の受難は伝染病を凌ぐ激しさで伝搬していく。

 もとより、そこには、商取引きの相当部分を掌握していたユダヤ人に対する金銭的打算が働いていたことも確かである。ユダヤ人が保護される場合はなおさら、その打算が強く働いていた。しかし、商取引きが直接の意味をもたない農村地帯の住民たちが、熱狂的にユダヤ人狩りに走ったことは、明らかに、この大殺戮が、むしろ、宗教的確信と、その高揚を背景としていたことを物語っている。それは、確かに、キリスト教という宗教が歴史的に(本質的に、かどうかはともかく)もち合わせている「非寛容さ」の一つの顕れであったろう。愛と寛容という二つの概念がキリスト教の歴史上の中心課題となり続けてきたこと自体が、むしろキリスト教の「非寛容さ」の裏書きであるかもしれない。
しかし、それと同時に、多くの人びとが指摘するように、そうしたファナティシズムは、形骸化し、習慣化した信仰に対する、無意識的な反抗であり、代償行為であった、という側面も見逃せない。
その意味で、正義の行為に身を投じ、自らそれに参画している、という(擬似的な)自覚と確信とが、ユダヤ人虐殺という行為によって初めて確認できる、というような状況は、独りユダヤ人にとってのみならず、ヨーロッパの「キリスト教徒」にとっても、不幸なことであったにちがいない。
しかし、そうした無意識に蠢動する一般の人びとの熱い信仰への憧れが、黒死病という避けることのできない災厄によって、触発されたことだけは確実であり、それはその後に続く世紀を彩る一連の宗教改革運動や、農民戦争などに通底するものを抱えていたと言える。そして、そうした動きを、より直截的に示すのが、鞭打ち運動である。

著者 : 村上陽一郎
出版社 : 岩波書店
発売日 : 1983/03/22
新書 : 202頁(岩波新書)
定価 : 本体760円+税

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