「谷中村滅亡史」 荒畑寒村

本書は荒畑寒村が20歳のときに書いた最初の単行本。自伝には「私は谷中村の強制土地収用の報に憤激して一気呵成、四六判百七十余ページの小著」を書き上げたが、発行と同時に禁止され「処女作はついに日の目を見ずに葬られてしまった」とある。解題によれば、発禁の原因となったと思われる最後の「平民の膏血を以て彩られたる、彼らの主権者の冠を破砕せよ。而して復讐の冠を以て、その頭を飾らしめよ」を削除した異本があったらしい。

谷中村は渡良瀬川、巴波川、思川に囲まれた「洪水常襲地帯」だった。しかしながら、洪水により肥沃な土壌が流入し、肥料を必要しない沃田地帯でもあった。ところが明治10年頃より、米や麦が枯れたり渡良瀬川の鮎が大量死するようになった。原因は足尾銅山の鉱毒だった。足尾銅山の生産量が増えると被害が拡大した。渡良瀬川上流の山は、木材の伐採と鉱毒によってはげ山となり、洪水が度々おこるようになる。本書によれば、この洪水を利用して足尾銅山の廃鉱石を下流に流していたという。

田中正造は議員を辞め、谷中村に住み込んだ。政府は谷中村を廃村にし、貯水池の建設を決定する。政府と県による強制退去は理不尽を極め、荒畑寒村が本書を書くきっかけの一つとなった。「土地収用広告」がでたときの内務大臣は原敬で、原は前年まで古河鉱業の副社長だった。原が古河とつながることになったのは陸奥宗光によるもの。陸奥宗光の次男潤吉は古河家の養子となっていた。潤吉は古河市兵衛の死後社長に就任する。政官財の結びつきにより、谷中村廃村は決定された。

本書を読んでいると、県がヤクザまがい(と言ったらヤクザ屋さんに悪いが)の脅しすかしで土地買収を行い、それでも応じない村民の家は「強制土地収用」を執行して村を破壊した。洪水のための貯水池がどれだけ有効なのか不明だった。実際には人々の目を鉱毒問題からそらすのが主な目的だったようだ。明治40年谷中村は消滅した。日本の政府と企業の関係は、100年以上経ってもあまり変わっていないような気がする。「呪うべき黄金万能の時代」はいまも続いている。

 谷中村の滅亡は、世人に何ものを教へたる乎。正義の力弱くして、依るべからざる事なる乎。人道の光り薄くして、頼むべからず事なる乎。否々、資本家は平民階級の仇敵にして、政府は実に資本家の奴隷たるに過ぎざる事、これ実に谷中村滅亡がもたらせる、最も偉大な教訓にあらずや。見よ、政府は資本家古河の利益のために、到底容易に信ずる能わざる、陰険邪悪なる手段を施して、以て無辜の人民を苦しめしにあらずや、彼らをして食ふに物なからしめ、次で着る衣なからしめ、遂に住む家なからしめたるにあらずや。而してかくの如きの残虐横暴は、これ実に政府が、古河らが行ひ来れる、鉱毒問題てふ積年の大罪悪を埋没せんがために企てたる、数年間にわたれる準備あり、組織あり、大罪悪なるを思はざるべからざるなり。

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