「老いのゆくえ」 黒井千次

本の話

本書は読売新聞夕刊に連載しているエッセイを纏めた中公新書シリーズの3冊目。14年続いている新聞連載の題名が「時のかくれん坊」から「日をめくる音」に変更されている。現在87歳の著者がいつまで連載を続けられるのか何とも言えないが管理人は次のエッセイも読みたいと思う。管理人は老化の教科書としてこのシリーズを読んでいる。まだまだ若いと思っていると気づかぬうちに老化が進んで狼狽えて取り乱す可能性が高いので。

本書で何度も取り上げられるのが、転倒と物忘れ。今回は転ぶことの話題が多い。転倒も転んだあとどのように立ち上がるかが様々な状況で問題となる。著者によると、近くにつかまるものがない場合、ひっくり返った虫のようになるらしい。グレゴール・ザムザ的状況は他人から見ると滑稽な様子でも、当人にとっては冷や汗ものであるらしい。

近くの人が助けてくれたり、家人が気がついたり、よく分からないが立ち上がることが出来るときもあると著者は書いている。この本を読んでいて、寝転んだ状態でどうやって起き上がっているのだろうかとふと考えた。そう言えばあまり意識して立ち上がったりしたことがないことに気づく。年を取ると今まで意識していなかった動作ができなる。今から気をつけておこうと思う。

 実際に、老いは容易に一筋縄で捉えられるようなものではないのかもしれない。時にそれは温顔を備え、悠揚迫らぬ態度で穏やかに振舞い、長い歳月を踏み越えて来た故の知と温もりを備えた存在であるように思われる。
しかしそのすぐ裏側には高齢故の不機嫌も隠れているかもしれないし、意外な意地の悪さも身を潜めている可能性がある。
だからこれから老いに向う者は、充分に用意してかからねばならぬ。
老いは自然であるだろうが、それはただ歳月の積み重ねとしてのみ存在しているわけではない。ふわふわと歩く自然な浮遊感を準備してくれると同時に、アスファルトの路面に人を叩きつける準備もしている。そして最後には、そこからもう引き返すことの叶わぬ地点までこちらを連れて行く。
それが親切なのか、意地悪なのかはわからない。老いは放置しても自然に成長する。

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