「インフラグラム」 港千尋

本の話

「インフラグラム」という聞き慣れない言葉は、著者による造語。「インフラグラム」について著者は次のように述べている。

 このように情報化社会のインフラとなった写真や映像を、わたしは「インフラグラム」と呼ぶ。多くの読者は、語の響きからインスタグラムを連想するだろう。そこで思い出してほしいのは、インスタグラムが「テレグラム」すなわち電報から発想された造語だという点である。テレ+グラムが遠隔性の言葉とすれば、インスタ+グラムは瞬間性の言葉だろうか。同じ発想から、インフラ+グラムは現代社会のインフラ言語としての、写真や動画を含む映像である。風景と肖像は写真というアートの主要なジャンルだが、そのどちらもが情報化社会の根幹をなす時代とい意味でもある。

情報技術の進歩は著しく、すべての技術を理解して追いかけるのは普通の人には非常に困難である。軍事技術や国家が推進している技術開発などは、何を行っているかは情報漏洩でもなければ知るすべがない。SNSで集められた個人情報がどのように使われているのかもわれわれは知り得ない。ブラックボックス化したインフラにわれわれは日々アクセスしビックデータの蓄積に貢献?している。インターネット上の情報が無料だといってもそれ以上にわれわれはデータという貨幣を支払っている。もし宇宙人が地球にきて、スマホを見ながら歩いている人々を観察したら、地球人は小さな箱に操られていると思うだろうと言った人がいた(と以前にも書いた気がするが)。地球人でもスマホから何か怪しい電波が出ていて感染しているのではと思ってしまう。

ダゲレオタイプの写真技法が誕生して今年は180年目にあたる。200年なら節目として何らかのイベントがあったかもしれない。銀塩写真はフィルムの種類が減り、印画紙はそれ以上に選択肢が少なくなった。インターネット&スマホと画像が結びついて、誰でも画像を人々に見せることができるようになった。日々、どのくらいの画像がSNSにアップされているのかよくわからない。一億総写真家時代。いいねだけが価値基準になり、アートとしての写真というのはどのような位置づけになるのか。ストレートの写真というのはアートとして成立しないかもしれない。アジェやアダムスの時代は写真の古き良き時代だったのか。

本書を読んで、30年後どんなものが残っているのだろうかと考えた。多分デジタル一眼は無くなっているだろう。写真展はディスプレイの映像だけになるかな。写真という言葉が違うものになっているかもしれない。それよりも自分が生存していない可能性が高い。年を取ってくると変化について行くのは疲れるというのが実感だ。

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