「現代物理学における決定論と非決定論」 E・カッシーラー

本の話

書名とは裏腹に古典物理学や他の哲学の記述が多く、何かまとまりのない感じがした。訳者の解説によると元々出版する予定がなかった原稿を亡命先のスウェーデンで急遽?出版したようだ。原書第一版では用語の統一がなく、索引もなく(訳書の索引は訳者が作成)、引用の誤記が多々ある。引用の誤記は、カッシーラーが記憶によって引用を書いているためらしい。恐ろしく記憶力が良いカッシーラーは他書でも本や論文を参照せずに引用を書いていた。結局、管理人にとって一番参考になったのは訳者解説だった。

1920年代に形成された量子力学において、確率解釈に関する論争がおきた。その中でもボーアとアインシュタインとの論争が有名である。大学生の頃、物理学会から出ていた論争に関する論文集を読んだが、アインシュタインのほうが分が悪かった。ボーアの相補性原理もわかりにくかったけれども。結局コペンハーゲン解釈が主流派となり、殆どの物理学者は哲学的な議論を抜きというかあえて触れることをせずに量子力学を発展させていった。確率解釈に関する論争は「量子力学の観測問題」として戦後も研究された。1935年に出版された本書では当然その成果は反映されていない。カッシーラーはコペンハーゲン解釈に基づいて議論している。

「波束の収縮はなぜ起こるのか」に答えなくても量子力学は使える。量子力学に限らず、古典物理学でも「なぜ重力が働くのか」あるいは「なぜクーロン力が働くのか」については答えていない。物理学の理論は、「なぜ」には答えず、観測可能量の関係性を数学的記述で行っている。物理の先生が「物理学の理論は経験則だから」とよく言っていた。カッシーラーによれば、量子力学が認識論に提起した問題は因果概念ではなく、「空間と時間の直観形式」の解放にある。それはカントの超越論的感性論を克服することであった。現代物理学をだしにしてカントを語るという感じだ。

 不確定性関係は、言葉の通常の意味での自然法則と呼ぶことはできない。というのも、その意味での通常の法則は物理学的事物と出来事にかかわるものであるが、それにひきかえ不確定性関係は、測定に関する、つまり自然<認識>の特定の形式に関するものだからである。それは、対象的・現実的なるものについての提言命題ではなく、経験的・可能的なるものについての、物理学的に確認可能なるものについての様相命題なのである。それゆえ不確定性関係は、あらかじめある対象を措定し、その後に、私たちの認識が決して完全にはそこには到達できないということを確認するというものではなく、私たちが観測可能なものの限界内に厳密に留まるかぎりにおいて、正当に形成することの許される対象<概念>についての、新しい取り決めを含むものなのである。ここでもまた私たちは、二律背反に足を掬われないためには、物理学の命題の<タイプの違い>を厳格に見据えていなければならない。この異議にたいしては、自然そのものと「自然にかんする知識」をすっきりと分離することはできないということ、両者はたがいに不可分に織りあわせているということ、このことを教えたことこそ、現代の原子物理学のもっとも重要な結果のひとつであると説明することによって、対処することができよう。

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