「アナキズム」 栗原康

本の話

とうとう岩波新書もここまできたかというのが正直な本書の感想。管理人のようなおじさんには本書のような文体はちょっとついていけないよねえ。岩波新書の既成概念をぶち壊せという著者の意気込みの結果なんだろうけど。岩波書店といえばお堅いイメージだったけど、最近は随分と柔らかくなった感じがする。コチコチに硬い岩波書店の本を無理して読んでいたのが懐かしい。内容を理解したかといえば怪しいけれど。

アナキズムはギリシャ語のanarchosからきていて、支配・統治という意味のアルケーに否定の接頭語アンがついた言葉。そこから「だれにもなんにも支配されない」「統治されないものになれ」というのがアナーキーで、何々主義のイズムを付けてアナキズム。日本では無政府主義と呼ばれることが多い。本書では日本の無政府主義者として大杉栄と伊藤野枝に言及することが多く、幸徳秋水や荒畑寒村などは登場しない。アナルコ・サンディカリズムやアナルコ・コミュニズムでは、無政府主義者と社会(共産)主義者との違いが管理人にはよく分からなかった。アナキズムが国家レベルで成り立つには、世界同時革命が起きて、なおかつ永久革命が続かなければダメだろう。

現代日本社会でアナキズムを貫いて生きていくのはなかなか難しいと思う。国家という大きな枠組みがあるなかで、小さなコミュニティとしてアナキズムは存続できているように思われる。何億人とか何十億人がアナーキーとなったらどんな世界になるのだろう。アナキズムは決して主流派にはならないのが前提なのだろうか。

 いちどたりとも均衡のとれたことのない合成された力。ひとつになっても、ひとつになれないよ。なんどやってもひとりはひとり。アナキズムとは、絶対的孤独のなかに無限の可能性をみいだすということだ、無数の友をみいだすということだ、まだみぬ自分をみいだすということだ。コミュニズム。自分のために、自分のために生きてさえいれば、なんにでも、またなんにでもなれるよ。ほんのつかのまのことかもしれない。でもほんのつかのまでも、その一瞬に自分の人生を賭けることができたなら、けっしてわすれることはないだろう。この酔い心地だけは。アナーキーをまきちらせ。コミュニズムを生きていきたい。一丸となってバラバラに生きろ。

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