「今和次郎『日本の民家』再訪」 瀝青会

本の話

本書は今和次郎著『日本の民家』初版に掲載されている民家を約90年後に再訪した記録。瀝青会とはその調査活動を行ったグループ名。瀝青とはアスファルトの意味があるそうだ。ネットで廃屋や民家を検索していたらたまたま調査活動の論文を見つけて本書にたどり着いた。岩波文庫版『日本の民家』も一緒に購入した。本書の調査対象となった民家は『日本の民家』初版に基づいている。北海道の民家はない。

日本の民家の調査は、柳田国男らがメンバーとなり古い民家を保存する主旨で発足した「白茅会」に今和次郎が参加したのが最初だった。その後「白茅会」が一年あまりで解散したが、今和次郎は引き続き全国の民家を調査した。この民家の調査は系統的なものではなかったため、民家の「採集」といった位置づけだった。民家採集も全国を網羅しているのではなく、関東付近が多い。東北・信越・九州は少なく、北海道は対象外だった。

『日本の民家』に採集されている民家の再訪記録は、ミステリーハンターのような面白さだった。先発隊でいろいろ当たりを付けて、本隊が乗り込む。町の長老や教育委員会・図書館・学校を訪ねて話を聞く。そこには思いも掛けない出会いがある。もともと『日本の民家』に採集されている民家は、文化財として残るような大きなものが少ない。そのため、多くは原型をとどめていなかったり、無くなってしまっている。それがかえって今和次郎の目的を浮き彫りにしている。消えてしまう名も無い民家を記録したことが、今となっては貴重なものとなった。

 今和次郎はむしろよりゆっくりと不格好に、事物の関係を追うタイプだったのではないか。それは彼の足跡を眺める時、それら雑とした経路のなかからつねに浮かび上がってくるのが「都市」ではなく、むしろ「民家」と「生活」という、より中長期的な時間をもつ二つの領域であることからも推測できる。そしてその領域への問いかけが最も研ぎすまされたかたちで噴出したのが処女作『日本の民家』だったのではないか。その体験において民家から突きつけられた根源的問題こそが、考現学を含め後の今の作業を指揮可能にしたと思えるのである。
統計分析における観察者は対象に対して客観的な立場を示す。しかしそのような立場を可能にするのは観察者にとって対象が分析的に操作可能であることが前提である。転じて、スケッチすること、断片を採集し続けることは、その対象が観察者にとってむしろ操作不能な存在だからである。各地の民家のもつ姿は、もちろん単一でもなくましてや無限でもない。それぞれに偶然的な諸条件に左右されながら、その場所の縁によって必然的な形態に結実する。その姿は観察者にとっては驚くほどに感動的である。しかしその必然性ゆえに観察者はそれをそのまま肯定せざるをえない。それゆえその感動の背後では、その対象からの疎外感が生じてくるのである。対象に肉薄しようとする今のスケッチの裏には、そのような対象に対するいかんともしがたいニヒルさがつねにつきまとっていた。感動とニヒルの間、その動揺する空間こそが『日本の民家』を再訪しそれらを味わうことの困難さのひとつなのである。そのニヒルは予想以上に深い。

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