「地図から消される街」 青木美希

本の話

Googleマップで福島第一原子力発電所と避難指示解除された街の距離を見ると思いのほか近い。チェルノブイリ事故のとき、発電所から半径30Km圏内は強制退去になった。それに比べると随分違いがある。除染を行っているのは住宅地区や商業地区が中心で、山間部は実施されていない。住宅内も除染対象外になっている。除染土などは袋詰めにされて、避難指示が解除された地区に放置されたしたところもある。本書の第二章では、除染の実態が明らかにされている。実際に行われている作業は、除染ではなく移染といわれるようなもの。除染作業員の手当もピンハネされたり、作業費の水増し請求もある。除染が地元住民のためというより、避難指示解除のためのアリバイ作りように見えてくる。低線量被曝については諸説あり明確な基準を策定するのが難しい。被曝しなければしないほうが良いのは確かだが。

福島第一原子力発電所の瓦礫撤去のTV映像、原子炉を覆うものもがなく放射性物質はどこかに飛散しているのだろうと漠然と思っていた。飛散防止剤を使っているらしいが効果ほどは分からなかった。凍土方式陸側遮水壁もどの位の効果が上がっているのか報道されることが少ない。福島第一原子力発電所で発生するトリチウム汚染水も希釈して海へ放出する予定だ。2013年南相馬市で収穫された米に基準を超える放射性物質が見つかった。原因は福島第一原子力発電所の瓦礫撤去で放射性物質が飛散したためだった。本書の第四章では、この経緯とその後の各省庁・東京電力の対応が書かれている。昔からよく言われてきた、省庁の「縦割り行政」「タコツボ化」「はじめに結論ありき」など何も変わっておらず、「原子力村」は健在だ。結局、関係各省の会議で南相馬市の米の汚染は原因不明のままとなった。避難指示解除が大前提で、そのためには多少のことはなかったことにしても構わない。

東京へ自主避難した女性の自殺が紹介されているが、「去るも地獄、残る地獄」といった状態だった。自主避難したひとの住宅援助は避難指示が解除されると無くなってしまい、東京都の公営住宅は一定の収入がなければ借りられない。自殺した女性は、夫は福島に残り、子供一緒に東京で暮らしていた。その後、夫とは離婚し、自身も病気で働けなくなり、住宅援助も受けられなくなった。原発補償もなく貯金を切り崩す暮らしに希望がなかったようだ。地元の自治体の職員には「自主避難したひとはお金持ち」と言われ、避難先では「福島から来た」「まだ避難している」と白い目で見られ、子供たちはイジメにあう。いつ自分が避難する立場になるかわからないのに。何十年かしたら、原子力事故による放射性物質の汚染はなかったと言い出すひとが現れるかもしれない。

報道では、福島の悲しい現実が出にくくなっている。現場の記者仲間からは疑問の声が上がる。「放射線量を書くな。帰還が進まなくなる」「危険だという話を聞きたくない人もいる」と上司に言われ、書きたいことが書けないと困惑する記者たちがいる。
椎名誠さんの妻で、作家の渡辺一枝さんは、いまも現地に通い続けている。「元気なように報道されているけれども、実際は違うと思います。避難者の方々はどうしたらいいか、悩んでいる。いまでもよく電話が来ます。必要なのは『私たちがわすれないこと』だと思います」
渡辺さんに話を聞いている最中も、彼女の携帯電話が頻繁に鳴った。
被害者、避難者の声は、復興、五輪、再稼働の御旗のもとかき消されていく。
「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語の看板が双葉町の道路から撤去された。あとには何もないまち。名前をなくすまち。
安全だと言われ、鵜呑みにしていた私たち社会の過信が生んだ悲劇だ。
その姿は、私たちに奢りへの猛省を促し、一人ひとり、自ら判断して立ちなさいと言っているかのように見える。

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