「苦海浄土 全三部」石牟礼道子

本の話

読み始めたとき、読み終わるのにどのくらいかかるかわからなかったけれど、何とか最後までたどり着けた。母親の入退院や地震などがあり非常に疲れた中で本書を読み続けた。そんななかでも水俣病の患者さんたちの労苦に比べればという思いがあった。「第一部苦海浄土」は講談社文庫、「第二部神々の村」は藤原書店から刊行されている。「第三部天の魚」は現在絶版状態のようだ。

本書は「第一部苦海浄土」が書かれた後、「第三部天の魚」のほうが先に刊行され、「第二部神々の村」は30数年掛けて書かれた。第二部は時間軸が長くなっており、第一部と第三部とは異質な感じになっている。「第一部苦海浄土」だけは昔読んだ記憶がある。今回読み通して感じたのは、方言による表現の力強さだった。水俣病患者の声は、やはりその土地の言葉でなければ伝わらないと思った。管理人は方言のニュアンスを理解したとは言いがたい。その地方独特の言葉の綾があり、肯定的なのか否定的なのか分からない部分があった。

水俣病の補償では、患者側は一任派・調停派・訴訟派・自主交渉派と分裂してしまう。「第三部天の魚」は自主交渉派がチッソ東京本社占拠とその後の交渉が描かれており、一番わかりやすいといえばわかりやすい。支援する若者たちと患者との交流やチッソとのやり取りの様子が窺える。「第三部天の魚」のほうが「第二部神々の村」より先に完成した理由が分かる気がする。

「第二部神々の村」では患者側が分裂し、訴訟派がチッソの株主総会へ出席までを描いている。チッソ、組合、行政、政治家、水俣市民、支援団体等の人々の嫌な面が様々に描かれ気が重くなる。後に首相となる橋本龍太郎厚生政務次官が気色ばむ様子は「東大アタマ」とともに印象的な場面だった。著者は水俣病について「苦海浄土 全三部」でも語り尽くせなかっただろうと思う。

「<中略>人間な、なんのために、生まれてくるか、なんのために生まれてきたか。
社長さん、わたしゃ、この年まで、愛も知らずに、恋いも知らずに来ました。来ましたです。ほら、そこの、江郷下の息子さん、もう二十五、六。二十五、六といえば嫁御も欲しかじゃろ。欲しからとわたしゃおもいます。それが人間の本能ちゅうもんでございます。わたしも相手のおらんじゃなかった。わたしも身に覚えのございます。人間はなんのために生まれてきたか。来るか、社長さん。
わたしも年をとりました。四十二になりました。白髪も生えました。愛も、恋も、知らずに今日まで来ました。たとえ、そのときの相手に嫁たても、たかえちゃんのように、戻されて来ます。水俣病でございますけん。水俣病の判背負わせてもらいましたけん。
社長さん、どうかこの判ば剥いで下さいませ。わたしゃ、認定されん方がよかったです。わたしゃ、患者ば批難する水俣市民よりも、水俣病は好かんとでございます。わたしが水俣病は、自分で好きでなった水俣病じゃなくして、社長さん、ああた共の会社が背負わせなった水俣病でございます。
どげんしてくれなさいますか。ここに皆さん方が、わたしとおんなじ気持ちで、判決のあと、銭の顔もみずに来とんなはります。欲はいいません。チッソの困んなはることは要求しません。
病院にゆきます治療費ば、皆さんやわたしの治療費ば、出して下さいませ。一歩下がって、今日は、そういうつもりで、ケンカせんよう、支援のひとたちもここに入れんよう、大人しゅうして、おねがいに来とります。
わたしゃ、みんなにもいいましたが、社長さん、ああたば信用しとります。人間と人間、信用して話せばわかる。わたしゃ社長さんが気の毒か、あの人が好きじゃ、と、みんなに、今朝いうて出てきました。な、そうじゃな、みなさん。そげんいうて来ました。
わたしゃ、真実の心でいうとります。
ケンカする心で来たっじゃなか。チッソば奪って奪って奪り潰すつもりで来たっじゃなか。不知火海はな、財産じゃった。肥しもな、かけんち良か、草も引かんちよか、良か畠、財産じゃった。そればな、あんたたちがな、いっ壊やしたっぞ。台無し成したっぞ。どうか、補償すれば、倒産するの、潰るるのと、いわん下さいませ。わたしのいうことは、非常識じゃなか、当り前のことでございます。わたしはな、社長さんを信用して真実の心でいうとります。これば社長さん、わたしの真実の心ば、どうか受けとって下さいませ。わたしの心ば受けとって下さいませ。どうかお願いします。
被害者が加害者にお願いしております」

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