「時の余白に 続」 芥川喜好

本の話

本書は「時の余白に」の続編。読売新聞朝刊に月一回掲載されているコラム「時の余白に」の2011年10月から2017年12月までの分を収めている。続編のほうは掲載した全部ではなく割愛したものもある。続編でも時代がもてはやすものや今をときめく大物有名人はでてこない。美術関連のコラムが多いが、永六輔や神谷美恵子などの著作も紹介している。永六輔は有名人だけれども、有名人であることを恥じているということで取り上げているのだろうと思う。写真家では土田ヒロミの「フクシマ」がでてくる。管理人が知っているひとはあまりいなかった。

本書では「地域を照らすかがり火」に登場する菅原歓一が印象に残った。菅原歓一は地域づくり情報誌「かがり火」の発行人。「かがり火」の発行のきっかけの一つに1986年の大島三原山の噴火があった。TVで噴火のさなか、自宅に戻ろうとする老人が何人もいる光景が映し出しだされ菅原は衝撃をうける。老人の心のなかにあるのは何だと言う問いが地域社会に生きる普通の人々の心の探究に向かわせた。

   菅原さんは言います。日本はあまりにも有名人が威張っている国、有名なった者が勝ちの社会になってしまった。政治家、学者、作家、芸能人、誰もが有名人になりたがり、名前を売りこむことに汲々としている。
  「有名になってしまえば、芸のないタレントでもお座敷がかかる。学識の深くなさそうな学者でも講演会の依頼が入る。才能の豊かとも思えぬ作家の二番煎じの本でも売れる」
  テレビに取り上げられれば、人も集まる、お金も入る。かくして誰もが、売れるかどうかを真っ先に考えるようになった。「その結果、いいものが売れるのではなく、売れたものがいいものだという転倒した価値観が定着してしまった。この考えが日本社会を汚染した」
  だが、社会を支えているのはこんな人たちではない。「売れる売れないにかかわらず黙々と自分の役割を果たしている人が世の中にはいる。話題になることなど眼中になく、こつこつ努力を続けている人がいる」
  彼らは自分の功績を誇示しないから、顕彰されることも、マスメディアに取り上げられることもない。「しかしこのような人々によって社会は支えられているのではないか」-と。
  自分の商品価値高めることに執念を燃やす社会表層の人々の空疎な内実と、メディアの怠惰を、見事に突いていて立ちすくむ思いを禁じ得ません。

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