「寒村自伝」 荒畑寒村

本の話

いつかは読もうと思っていた「寒村自伝」をようやく読了した。自伝は少年時代から始まり、最後は米寿祝賀会で終わる。この自伝は明治・大正・昭和の社会主義運動と労働運動の敗北と挫折の歴史である。幾多の雑誌を刊行しては廃刊になり、社会主義政党は何度も解散の憂き目にあう。それにも関わらず、著者の社会主義運動への情熱は消えることはなかった。77歳になっても、反安保デモに加わろうとして妻に止められて諦めたというエピソードも本書にあった。それにしても寒村の記憶力はすごいと思った。岩波文庫版「寒村自伝」の文字は小さく、老眼気味の管理人にとって読むのがちょっと辛かった。

大逆事件のとき寒村は赤旗事件で下獄中のため連座を免れ、関東大震災前後はソ連へ渡っていたため大杉栄のように虐殺されることはなかった。今から見ると幸運のように思えるが、当事者にとって何が起きるかは分かるはずもないことだった。桂首相を暗殺しようとしたが果たせず、自殺を試みても失敗した寒村は運命のいたずらのように長寿を全うした。

現代のおいて社会主義運動や労働組合運動は寒村の生きた時代とは全く異なる状況にある。ソ連は崩壊し、東欧の社会主義国家は自由化し、中国はアメリカに次ぐ経済大国となった。日本社会党の名も消滅した。総評は解散し、大規模な労働争議も皆無である。草葉の陰で寒村は現代の状況をどのように思うだろうか。

 三十五年の春、初めて論争社から『寒村自伝』が出版されたとき、はからずも毎日新聞社の出版文化賞と日経新聞社の図書文化賞とを授けられたのは、望外の仕合わせという外はない。何しろ今まで罰ばかり受けて来て、賞と名づけるものは生まれて初めて与えられたのだから、嘘も偽りもなく嬉しかった。
『寒村自伝』はもとより事効の云うべきものがある訳ではなく、ただ少年の狂熱に駆られて社会主義運動に身を投じた一凡人が、蹌踉たる思想上の彷徨を経て今日まで生きて来た貧弱な経験を、ありのままに語ったに過ぎない。顧みれば半生の経路、すべてこれ無知と浅慮にもとづく誤謬と失敗との連続であって、爾来いたずらに過去の愚行を自嘲するのみだ。私は懺悔録を書くつもりで『自伝』を著したのではないから、心の奥底まで披瀝し一切の私欲、利己的な観念、不純な動機まで反省告白したとは言い切れないが、しかし己れを偽り他を欺いたことだけはないと断言し得る。この一巻は弁解も負け惜しみもせず、土壇に首さしのべた私自身の投影なのである。

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