川崎といえばヴェルディ川崎だった

日誌

Jリーグ25周年

今年はJリーグが始まって25周年。Jリーグが始まった頃、管理人は等々力競技場の近くに住んでいた。ヴェルディ川崎の試合があるときは歓声がすごかった。管理人の住んでいたアパートのベランダからまだ屋根がなかった等々力競技場のピッチがちょっとだけ見えていた。当時管理人は地元ということもありヴェルディ川崎を応援していた。ヴェルディのほうは川崎がホームタウンという意識がなかったようだ。

そんなヴェルディがだんだん勝てなくなり、とうとう読売新聞がスポンサーを降りて東京へ移転することになった。管理人はホームを変えるのはあり得ないだろうと怒り心頭で、ヴェルディ川崎を応援するのを辞めた。ちょうどその頃、川崎フロンターレはJ2で、J1に何とか昇格できそうな順位だった。それで管理は川崎フロンターレを応援するようになった。

J1に昇格したフロンターレとヴェルディとの「川崎ダービー」は1年だけ実現した。確かナビスコカップも含めて4試合「川崎ダービー」があった。フロンターレがホームのときボランティアスタッフとして試合を見ていたら、いつの間にか隣に北沢選手がいてびっくりした想い出がある。結局、フロンターレは最下位で1シーズンでJ2へ降格。そして「川崎ダービー」も消滅した。

J1として最後の試合となった天皇杯浦和戦の前に中西選手の引退セレモニーがあり、管理人は取材のためにピッチいた。近くで浦和の小野選手(現札幌)がリフティングをしていて「すごい上手いなあ」と感心。小野選手はメンバー外だったので遊びでやっていたのかもしれない。天野さん(現東京オリンピック組織委員)と一緒に試合をみたけれどフロンターレは完敗。試合が終わった後、新しいユニフォームの撮影をすることになり、ユニフォームを見たらアシュラ男爵仕様だった。(続くかも)

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