「平田篤胤」 吉田麻子

本の話

「仙境異聞・勝五郎再生記聞」を読んで何か解説書はないものかと本屋へでかけたが、適当な本が見つからなかったので新書の本書を購入。平田篤胤関連の本は怪しいものが多く、とくに霊とか生まれ変わりとなるとトンデモ本みたのものばかりで読む気がしなかった。岩波文庫の解説でも、寅吉が語る内容そのものについてはあまり触れられていない。本書でも著者は言及をしていない。「仙境異聞・勝五郎再生記聞」は民話というかお伽話というような扱いになるのだろうか。管理人は全くの専門外でよくわからない。

平田篤胤の評価というと戦前の超国家主義にその思想的根拠を与えたとして批判的なものが多い。あの和辻哲郎でさえ「狂信的国粋主義」の「変質者」と批判している。和辻は平田篤胤は古典文献の解読という範囲を踏み越えて自説を展開しており、文献学的に問題があると指摘している。本書で紹介されている『霊能真柱』や『古史伝』は、本居宣長の『古事記伝』に比べると自説のために『記紀』等の文献を利用しているという感じを受ける。文献を自説に都合よく読み換えて無知な大衆に訴え、他宗教を執拗に攻撃するのは現代の狂信的カルト教団によく見られる。本書を読んでいて平田篤胤研究の危うさというかミイラ取りがミイラになる危険性が感じられた。

 西洋文化は否定しないが、やはり正確さには欠ける、その証拠にアダムとイブの伝説はイザナギとイザナミの伝説が誤って伝わったものである、篤胤はそう捉える。なんでもかんでも日本が最初であるがゆえに正しいという、このような篤胤の視点は、現代人の我々からみれば、ずいぶんと自己中心的でご都合主義のように感じられるかもしれない。だが、宗教心というものは、篤胤にかぎらずとも自分を生み育んだ土地に根ざしてうまれるのではないだろうか。あるいは自分たちの共同体に中心軸を置くのではないか。そしてその尊さや畏怖の実感を拠点として世界を見るのではないだろうか。特に創世記神話は、どんな宗教であろうとも、みな自分たちの神が世界を生み出すのである。篤胤の宗教心だけが特別に客観性に欠けていて独善的だということはできまい。のちに述べるように、篤胤は日本における庶民の生活、それを取り囲み恵みを与える自然への強い畏怖から日本神話の正しさを確信しているのである。

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