「仙境異聞・勝五郎再生記聞」 平田篤胤

本の話

本書は、謎のブームで異様な売れ行きらしい。今年の2月から4月にかけて1万冊の増刷という、岩波文庫としては異例なことらしい。普段ならブームになった本は読まないけれども、天狗にさらわれた少年と生まれ変わりの話ということで購入。

「仙境異聞」は天狗にさらわれた少年寅吉の話。寅吉は幼い頃、五条天神近くで薬を売っていた50歳くらいの老翁が小さな壺に何でも入れ、最後自身も入って壺が飛んでいくのを目撃した。寅吉は不思議に思い、別の日に同じ場所で様子をうかがっているとその老翁におまえも壺に入れと進められ、一緒に壺に入った途端どこかの山の頂上にいた。その時から山人(天狗)の世界を行き来し、様々な経験をする。この寅吉の話は、当時の江戸で相当話題になったようで、医者、国学者、仏教者、大名などから呼ばれて話を聞かれた。

平田篤胤もその噂を聞きつけ、寅吉に会いに行き、最後は寅吉を自宅に住まわせいろいろ質問をして記録した。寅吉の話が、平田篤胤が考えていた幽界と似ており、その証拠となると考えていたようだ。逆に誘導するような質問をして回答を引き出しているようなところもある。平田篤胤が少年にその思想を吹き込んで答えさせているのだろうという噂もあったらしい。当時にあって、世間一般から見ると平田篤胤というひとは怪しい人だったようだ。本書を読んでいると寅吉が全くのでたらめな話をしているような感じがしない。平田篤胤とその門人との共同作業で、寅吉が見聞きした山人界を具現化した印象がする。異人による神隠し事件は寅吉以外にも何件もあったようだ。

「勝五郎再生記聞」は生まれ変わった子供の話。武州多摩群中野村の百姓源蔵の倅勝五郎が八歳のとき、生まれ変わった話をしたところ、親は子供の話なので信用しなかった。ところが何度も同じ話をするので不思議に思い、祖母が勝五郎を連れて前世に住んでいたと言った窪村を訪れた。勝五郎は窪村百姓久兵衛の倅藤蔵で六歳の時疱瘡で死んだと言っていたが、実際窪村でそのことが確認された。この事件は、知行所の記録に残っており、子孫が存続している。「勝五郎再生記聞」の後半は、勝五郎の話から離れて生まれ変わりの神道的証明みたいなことになっている。「勝五郎再生記聞」のほうがより具体的で不思議な感じがする。勝五郎は死んだときの様子を次のように述べている。

 息の絶ゆる時は何の苦しみも無かりしが、其の後しばしがほど苦しかりき。其の後はいさゝかも苦しき事もあらず。さて體を桶の中へつよく押し入るゝと、飛び出でて傍(かた)へにをり、山へ葬りにもて行くときは、白く覆ひたる龕の上に乘りて行きたり。さて其の桶の穴へおとし入れたるとき、其の音のひびきたること、心にこたへて今もよく覺えたり。さて僧共が經をよめども何にもならず、すべて彼等は錢金をたぶらかし取らむとするわざのみにて、益(やく)なきものなれば、惡(にく)く厭(いと)はしく思はれて、家に歸り、(「僧は尊きものにて、經よみ念佛申せば、よき國へ生まるときく、さて地獄極樂など云へる國はしらずや」と問ひしによりて、僧のことをかくいへり。)机の上に居たるが、人に物をいひかけても聞きつけず。其の時に白髮を長く打垂れて黑き衣服(きもの)着たる翁の、『こなたへ』とて誘(いざ)なはるゝに從ひて、何處(いずこ)とも知らず段々に高き奇麗なる芝原に行きて遊びありけり。花の盛(さかり)なる所にあそびたるとき、其の枝を折らむとするに、小さき烏(からす)の出で來たりて、いたく威(おど)したる事のありしは、今も恐ろしくおぼゆ。(「中野村の産土神(うぶすなのかみ)熊野權現に坐す」と源藏いへり。烏の出でたると云ふにつきて、幽(ひそ)かに思ひ合さるゝことあり。)

「仙境異聞・勝五郎再生記聞」は神道が第一義で、仏教を否定し、僧侶は詐欺師扱いで平田篤胤の思想が色濃く反映されている。寅吉の話は実際に見聞きしたものなのか単なる妄想なのか。それにしても本書がブームなったのは謎。

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