「第三阿房列車」 内田百閒

本の話

とうとう百閒先生の「阿房列車」を読んでしまった。最初の「阿房列車」が出版されたのが昭和二十七年で、これだけ長い間読み継がれてきたのも頷けづける内容だった。最近の本だと、すぐ入手困難になってしまうものが多いのに対して、百閒先生の本は文庫でまだ読める。

「第三阿房列車」では、長崎・房総・四国・松江・興津・不知火と列車を乗り継ぐ。解説によると乗り物に乗った総キロ数は一万キロメートルを超えるそうだ。四国では珍しく百閒先生が体調不良になっている。百閒先生は朝食をとらず、昼も滅多に食べ物を食べず、夜しこたまお酒を飲んで過ごして、よく元気でいられると不思議に思っていた。結局、第四、第五の阿房列車が出発することはなかった。

本屋へ行っても、日本文学のコーナーは読んだことがない作家ばかり。本屋大賞になった本も一冊も読んだことがない。これから何を読もうかとなったら、まだ読んでいない古典と言われる本を読もうと思っている。年を取るとお気に入りの作家がだんだん少なくなってくるのはしようがない。百閒先生の本で読んでいないものがあるのでしばらく読み続けようと思っている。

 提燈の燈の為に見送り間に合わなかったが、友人はその時水戸へ行ったまま発病して死に、もう岡山へは帰って来なかった。あの時の派出所はどの辺りだったろうと思うとしても、丸で様子が違っているので見当がつかない。古い記憶はあるが、その記憶を辿って今の岡山に聯想をつなぐのは困難の様である。何事もなく過ぎても、長い歳月の間に変化は免れない。況んや岡山は昭和二十年六月末の空襲で、当時三萬三千戸あった市街の周辺に三千戸を残しただけで、三萬軒は焼けてしまい、お城の烏城も烏有に帰して、昔のものはなんにもない。しかし岡山で生れて、岡山で育った私の子供の時からの記憶はそっくり残っている。空襲の劫火も私の記憶を焼く事は出来なかった。その私が今の変わった岡山を見れば、或は記憶に矛盾や混乱が起こるかも知れない。私に取っては、今の現実の岡山よりも、記憶に残る古里の方が大事である。見ない方がいいかも知れない。帰って行かない方が、見残した遠い夢の尾を断ち切らずに済むだろう、と岡山を通る度にそんな事を考えては、遠ざかって行く汽車に揺られて、江山洵美是吾郷の美しい空の下を離れてしまう。

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