「見知らぬ記憶」 小林紀晴

カメラのセンサー清掃ができあがるまで時間があったので、書店をうろついていて本書が目につき購入した。自宅に帰って、著者をある写真家と勘違いしていたのに気がついた。どうしてこんな勘違いをしたのかよくわからない。管理人は著者の写真作品を見たことがあったが、著作を読んだのは本書が初めてのことだった。

多分著者の意図なのだろうけれども、本書はフラッシュバックが多い。文章のつながりというか流れがわからなくなることが何カ所かあった。個人の記憶の連想を他の人が追体験するのはむずかしい。記憶の流れを文章にするとこのような感じになるのだろうと思う。人間の記憶が全て時系列的に蘇ることがないのはよく経験することだと思う。記憶と写真との関係性は、古くて新しい問題だと思う。

 記憶の異国を旅しているときは物事が順序立てて思考されることはなく、意味のありなしも関係なく、有効なことも無効なことも、有益なことも無駄なこともすべて同等で、穏やかに混じり合っている。それでいて唐突で脈絡がなく、やってきては無言で去っていく。あるいは別の何かを呼び起こし、連鎖し、響きあう。そこに思わぬ発見をすることもある。
 この感覚はかつて遠い日々に自分が撮った写真を、久しぶりに見たときの心境とも重なる。必要があって過去の写真を探しているとき、関係のないカットに目がいったりする。多くはフィルムをベタ焼きした状態で見るのだが、希にすっぽり記憶から消えている一本があったりする。フィルム一本分、どのカットもまったく覚えていないのだ。
 すると本当に自分がこの写真を撮ったのだろうか、もしかしたら別の誰かが撮った写真が紛れこんでしまったのではないか・・・。あるわけないのだが、そんな錯覚に陥る。すると記憶の曖昧さについて実感せざるをえない。本書のタイトルはそんな私自身の”見知らぬ記憶”に由来する。

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